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メディアとデザイン─伝え方を発明する(4)「コンテンツの伝え方」

毎年開催している課題作品の選抜展「できごとのかたち展」に関する一文。今は授業の一環として継続している。情報デザインをどう見せるのかについて、いつも考えていた。そんなころの文章である(今も考えてはいるのだが。。)


コンテンツの伝え方

「どんな映画が好きですか?」と尋ねられたら、なんと答えるだろう。たいていの人は、映画のタイトルか、ジャンルか。監督や役者の名前を言う人もいるかも知れない。しかし、「映画館の大スクリーンで観る映画」とか「DVD」と答える人はいないだろう。普通の人にとっては、映画=コンテンツであり、映画というメディアは完全な透明になっている。

メディアのデザインを学ぼうとするときに一番困るのが、このメディアの透明化によってコンテンツしか見えなくなっていることである。本人はデザインをしているつもりでも、ただコンテンツをつくっているだけということが往々にしてある。
コンテンツをつくることを指して「表現」とよび、その見せ方や使い方を設計することを「デザイン」と呼ぶ向きもあるが、これは早計というべきであろう。コンテンツをつくるときにもデザインは関与するし、なにも設計行為だけがデザインではない。

メディアの成分は、「内容」「資材」「仕組み」の三つに分けることができる。先の映画を例にとれば、内容は多くの場合「ものがたり」であり、資材は「フィルム」「スクリーン」で、「映写機」「映画館(暗闇)」が仕組みにあたる。
モノとすればそれだけあれば事足りるのだが、もうひとつ、私は「表現記号」を要素に加えている。映画では、脚本に書かれたセリフや役者の演技がそれにあたる。
そして、その四つの要素を繋ぐためにデザインが機能している。当然、テクノロジーも関与しているのだが、話しが複雑になるのでここでは触れない。

もうひとつ、わかりやすい例として「本」を考えてみよう。映画の原作本でもいいだろう。内容はやはり「ものがたり」で、資材は「紙」と「インク」、仕組みは「冊子」だ。冊子とは紙を折って束ねて綴じた状態をいう。表現記号は主に「文字」である。

造形としては存在しない「ものがたり」を文字というかたちにする。これは主に著者の仕事だが、それを整えるために校閲や校正が行なわれる。その文字をインクで紙に定着させる。ここでは、タイポグラフィやレイアウトと呼ばれるグラフィックデザインの作業が発生する。紙の束を冊子状にするために造本や装丁が施される。台割りづくりなどの編集行為もデザインに含めてもいいのかも知れない。このように、内容─資材─仕組み─表現記号の間にデザイン行為が介在してはじめてメディアとして成立する。

もっと微視的に考えれば、資材である紙をつくるためのデザインが存在するし、たくさんの紙からひとつを選択する行為もデザインである。内容に関しても同じで、作者はすらすらと語りはじめるのではなく、人物や状況を設定し、それらをいわば組み立てることで、ものがたりは紡がれていく。やはりそこにもデザインはある。

著作から製紙、造本、レイアウトまで、それぞれで機能しているデザインは同じものかと問われれば、基本的に同じであると答えるだろう。
情報のデザインとは、媒(なかだち)する技術のことで、メディアを構成する要素、それぞれのなかだちをするだけでなく、送り手─メディア(媒体)─受け手のなかだちもしなくてはならない。メディアの内と外での情報の受け渡しと、それによって起こる相互作用(インタラクション)をかたちにすることと言えばいいだろうか。そして、その方法を考えることが、メディアのデザインの学習なのだ。

多摩美術大学情報デザインコースでは、毎年3月に1年生から3年生までの演習の成果を展覧会にして発表している。
展覧会は自主的に集まった学生有志と担当の教員スタッフでつくる。展示計画にはじまり、展示台の作成から設営作業、ウェブやパンフレット制作、そして記録まで、すべて協働で行なっている。

この展覧会をつくるという仕事が、デザインの勉強にはとても都合がいい。「いい展覧会だったね」と言うとき、個別の作品ではなく、総体としての展覧会を指すことでもわかるように、展示作品=展覧会だとは考えないからである。そのため、自分たちの課題作品をどう伝えるかにだけ腐心することができる。

学科の性質上、コンピュータディスプレイで見せる作品が出てくるが、ただディスプレイを並べるだけでは退屈でだれも見てくれない。じっくり見て欲しいものは低い展示にして椅子をそばに置いておく。どうしても解説が多くなってしまう作品、さわって楽しむインタラクティブな作品、それぞれの特徴に合わせて工夫をしつつ、展覧会全体としてどう訴求していくかを考える。それは、展示だけではなく、パンフレットやウェブページにも通じている。多くの人に見てもらいたい気持ちが展覧会を外にひらく。

展覧会名は「できごとのかたち」。モノではなくコトをデザインする情報デザインを言いあらわしたことばだが、展覧会という「できごと」を「かたち」にすることも目的のひとつとして据えた。透明なメディアがよいメディアだとは一概には言えないのである。(2009年3月執筆)


追記:この当時、メディアの透明性について考えていたことを思いだした。


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