酒と優しさと残酷さについて。

今日も悲しいニュースは大きく報道され、優しいニュースは静かに時間を過ぎていく。

いつものように朝が来て、眠れない私は大きく欠伸をする。
今日の天気だとか気温だとか、気にしたところでどうにもならないことは気にしないことにしているのだけれども、眠れないということは私にとって大きな問題だ。
現実を忘れる為に酒を飲んでいるのに、酒を飲む為に必要な睡眠時間が足りないということは由々しき問題である。

昨日も一昨日も、記憶がなくなるまで飲み続けている。
酒の前では誰でも平等だと思っている。
政治家だろうが社長だろうが、サラリーマンだろうが前科者だろうが、酒の前では誰もが平等だ。
ずっとそう思っている。
でもこの言葉には続きがあるんだよ。
酒の前では誰でも平等であるし、誰に対しても酒は優しい。
だから酒を飲むんだということに気づいた夜に、1人で泣きそうになってしまうのはなぜ?

酒が優しさであると気づくと同時に、自分には優しさが足りないのだと自覚をしてしまった。
誰にでも平等だというのは、優しさであると同時に残酷でもあると思う。
誰にでも尻尾を振る犬は、誰にも尻尾を振っていないように。

私は君とお酒を飲みたいと思う。
私は君に、私とお酒を飲みたいと思って欲しいだけなんだ。

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