生命のスープ。

夜に呑まれてしまいそうな夜がある。

忘れることと覚えること、どっちを人は先に覚えたんだと思う?
嫌なことを忘れられるように忘れることを先に覚えたとしたならば、どうしてそんなことをしてしまったのだろうか。
忘れたくないことってのが、昔の人にはなかったのかもしれないね。
忘れられないことなんてないはずで、時間が全てを解決してくれると思うのだけれども、酒を飲んで忘れようとすることで、酒を飲んだ記憶でさらに刻み込もうとするのは、ある意味自傷行為と同じなのかもしれない。
みんな緩やかに自殺をしているのではないか?

先人が血を流してきたから今の世界があると誰かが言った。
ならば血は流れる為に存在しているのかもしれないね。
ということは、血を作る為に摂る食事というのは、血を流す為に摂っているということになるのではないか?
そんなことを頬の内側を噛んでしまった時にいつも考えてしまう。

歌を書こうと思うのだけれども、歌いたい歌が見つからない。
私は元来タイトルから文章を書いたり歌を作ったりする方が得意なもので、この文章はタイトルを決めずに書いているので支離滅裂なものになっている。
満たされているのだと思う。
幸せなのかもしれないね。
君のおかげだと思うんだ。
決して他意はない。

幸せというものは一瞬だと思う。
そして幸せであればあるほどに、孤独を感じやすくなってしまったり寂しいと思ってしまうんだよ。
光が眩しいことで影がくっきり見えてしまうんだよと誰かが言う。
どうして幸せの表現というものがいつも光なのだろう?

仲間というものは誰かが作るものではないんだよ。
当人同士が意気投合して、その日その時その瞬間に存在していて心を許した場合に成るものであって、他者がそこに介入するものでないと思う。
他者がそれを言うというのは少し違和感を感じるのだけれども、それで成り立っている社会や世の中であれば全く問題ない話であって、私のこの考え方がすでに古いものなのかもしれないね。
仲間がいることが良いことだと思っているのだろうなと思う。
でもそうじゃないんだよ。
他人が居るから良いことってのもあるんだと思う。
生命のスープを作りたいのだろうか?
やっぱりそれはエゴだと思うんだ。

人は音のない空間に閉じ込められると、しばらくして音を出すようになるという研究がある。
自分の存在が音を出すことでしか確認ができないのだろう。
自分の存在が曖昧になってしまうのだろう。

何もかもが簡単な世の中になっていってると思うんだ。
簡単に手に入れることができなければ、要らないと感じてしまう世の中になってしまうことが、私は恐ろしいと思ってしまう。
叶う夢よりも、叶わない夢の方が素敵なことだってあるのだから。

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