人にみられたい心
おはようございます。
今日の朝活は、
「心の鏡を磨くために何をしますか」
でした。
私は「気づいていくことで綺麗にしていくこと」とこたえました。
その上で、昨日、自分の中で起こった気づきについて共有しました。
そんな心が働いていたとは。。というショックもあることだったのでした。
人がいる場所で、私自身は影のようにいる役目でした。
それなのに、何か自分の動きが落ちつききれず、バタバタとしているものがあるなあと感じました。
それは、落ちついた場でずっと感じてきていた違和感でした。
それに対して、今までも「なんか落ちつきがなくバタつきがある。気をつけよう!」としていました。
そして昨日もバタつきに気づいて、気をつけて動こうとしたのですが、それでも、落ちつけていないものがあると思いました。
それで「なぜなんだろう?」と思ったんです。
すると、「人から見られたいとする心が働いている」というこたえがありました。
それに気づいた時、いくらか衝撃がありました。
私は、もともと、そういうような人に注目されたいという心をもっていることの自覚はあり、修めてきていたつもりはありました。
それについて朝活で話をすると、「今日は凄く大事な気づきだったと思うよ」と言っていただき、そこを深めるための質問をしてくださりました。
そして、「その承認欲求によって、その場をもっていってしまうというものはその時だけではなく、いつもやすみちゃんの心に働いているものなんだと思うよ」
「その気づきは大きなもので、きっと雰囲気を変えるものになると思う」
「謙虚さを身につけるということになると思います」
と言っていただいて、本当にそのとおりだなと、、「いつもその心が働いている」ということについては、はじめは、「そんなことはないのでは」と思ったのですが、いろんな場面の自分を振り返ってみると、残念ながら、確かにそうだと思うことができました。。「うわあ。。。」と、いう気持ちです。
最近は、恭(敬いをもつ。つつしみを持つ)というような言葉がよく目に入り、とても気にしている私がいました。
また、人との対話の中で、その人が気づいた私への違和感に対して言ってくださった場面があり、その時は自覚が弱く、認められないでいた場面もありました。
その時も、「その場をもっていってしまう私がいる」と気づくための場面でした。
かなり根深いものだと感じるので、、力を注いで、しっかり、その根に届かせていきます。。
それでは。
今日もよき一日になさってください。
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