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適度に社会に組み込まれながらドットを打っていこう

意識高い系の人が大好きそうな動画がアップされて、リコメンドされた。
イェール大学の成田さんと落合陽一さん、有働さんのディスカッションを早速見てしまった。

あまりよくわからなかったが、落合さんのいう「ドットを打つ」というのがメタファーとしてわかりやすく、自分が志向するものの言語化として適していたので備忘のために書いておきたい。

社会システムのネットワークのための活動

まず、その前に、われわれが日々会社で行っている仕事はほとんどが社会システムのネットワークのために行っているものだ。

汗水たらして稼いでお金を使って、何か安心安全便利快適なものを求めている人のニーズやウォンツを充たしていく活動である。

この多くは、ブルシットジョブになる可能性が高い。特にエッセンシャルワーカーなどの現場の仕事以外のほとんどは、本質的な価値を生み出さない糞仕事であるだろう。

貨幣経済が地球を覆っているので、こちらの活動をしてお金を得ないと生きていけない。だから他人を気にしながら、このシステムに貢献しないといけない。

ドットを打つという活動

一方、ドットを打つという活動とは、誰かのニーズを満たすとか、誰かのためにとか考えずに、自分がただやりたいからやる活動といえる。

お金にならないのはもちろん、周囲の人から何の興味も持ってもらえず、共感されない可能性が高い。

みなさんは、こういう活動があるだろうか?
私の場合は、30歳で足を踏み入れて哲学の存在論がそれにあたるだろう。何故なにもないのではなく何かがあるのか?真理に徐々に迫っているが、これからもずっと続けていくだろう。

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こう考えると、ドットを打つための時間にできるだけ時間をかけ、一方で、社会システムのための活動は、できるだけ時間をかけずに、且つ、できるだけ現場に近い仕事をすることが、この社会システムを生き抜く一番賢いやりかたではないだろうか。




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