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バリ島 音楽と芸能の旅2024


究極のコミュニティ音楽を求めてバリ島へ

私は作曲家として、音楽を作る活動をしています。しかし一般的にイメージされる、楽譜や楽器を使って作曲する、というのとは少し違う表現かもしれません。私の表現にはいわゆる音符を使った”楽譜”が存在しません。事前に音の高さやリズムなど、五線譜で設計図を作る、というやり方をしないのです。その代わりにシンプルなルールがあり、それはゲームのルールのように簡単なもので、そのルールに則って音を出していくと、自然と流れが浮かび上がって来る、という方法です。
そのルールは、人間の持つ呼吸の長さやタイミングの違いといった、誰もが持つけどみんな異なる、有機的なリズムを用いたりします。ある種自我ではコントロールできない、圧倒的な”自然”が音楽を作り上げていくのです。そしてそれは毎回生きて変化していく響きを生み出します。
また、基本的に独奏ではなく複数人でのアンサンブルの表現です。その際、他者と自分の呼吸のタイミングや長さのズレは、そのまま音楽の複雑なハーモニーやリズムに変換され、対話のようなやりとり、それによるお互いの反応により無限に変化する響きが生まれるのです。

このような表現にたどり着いたのには、様々な紆余曲折がありますが、その大きなきっかけとして、世界中の民族音楽との出会いがありました。それぞれの地域で多様な価値観や表現を持ち、西洋音楽に慣れ親しんだ私たちには予想外の美意識やアプローチもあったりして、とても衝撃的なものでした。
その出会いのプロセスは以下のリンク先へ。

そこから現在のような表現にたどり着き、その表現を実践する場として、「つむぎね」という音楽パフォーマンスを立ち上げ、パフォーマンスの発表を始めました。https://tsumugine.com/


また、その方法論がとてもシンプルで誰でも参加できるものなので、老若男女、人種、性別、世代を超えて誰もが参加できる声のワークショップを多数実践しています。
その活動は音楽やアートの分野に限らず、教育や福祉の現場でも実践し、人と人とをつなぐ、コミュニケーションの場を生む音楽活動として注目を集めています。

インドネシア・ジョグジャカルタでの子供たちとのワークショップの様子

大学院時代に民族音楽の魅力に触れてから、世界中の様々な音楽、芸能に直に触れたい!というモチベーションから、私はいろいろな国の音楽や芸能を求めて旅をしています。これまでに東南アジア諸国やインド、モロッコ、台湾など様々な国々でその土地の音楽や芸能に触れる旅をしてきましたが、今回はその中でも、先日行ったバリ島での旅で出会った様々な儀礼や音楽について、旅行記と、自分なりの見解を書いていきたいと思います。

ケチャの様子

1.バリ島との出会い

もともと東南アジアを長く旅したのは、2017年度国際交流基金のアジアセンター・フェローシッププログラムというフェローに選出され、2018年4月から10月までの半年間にわたり、マレーシア、カンボジア、タイ、インドネシアと4カ国を一筆書きのリサーチ旅に出た際でした。
https://grant-fellowship-db.jfac.jp/ja/fellow/fs1714/

その際はマレーシアに1ヶ月、カンボジアに10日間、タイに2ヶ月、インドネシアに約3ヶ月滞在しました。それぞれの国で滞在中に様々な地域に行きましたが、インドネシアではバリ島に1ヶ月半、ジャワ島のジョグジャカルタに1ヶ月半滞在しました。

その体験談は上述のリンク先に報告書がありますので参照いただきたいと思いますが、どの国も非常に豊かな文化や芸能にあふれ、多くの素敵な人々とも出会え、かけがえのない体験となりました。その中でも特にバリ島は、滞在中、毎日のようにめくるめく芸能と音楽のオンパレードで、本当に人々の生活と芸能、そして信仰が今も強く、そして自然に結びつきを持つ素晴らしい土地だと感じました。

子供たちのガムラン演奏

2.バリの音楽の特徴

また、バリの音楽構造にも改めて感動しました。バリの音楽は、基本的に同じ楽器が2つ対になっていて、片方は少し高め、もう片方は少し低め、とピッチを敢えてずらして調律します。そのことにより、二つが合わさった時に、「シルルルル、、、」(とよく現地の人は表現します)と言った、差音による唸りの音が生まれます。西洋音楽では、ズレていて美しくないとされる音ですが、バリの人はここに美しさを見出すのです。私はこの美学は、「あなたと私とは違う。そのズレがあるから合わさった時に、より豊かで多様な響きの美しさが生まれるのだ」という考えのもとではないかと感じるのです。確かに皆一様にきれいに揃っていることは、自然界の中ではむしろ、不自然なことにも感じます。
さらに、バリの音楽は「コテカン」と呼ばれる、二人で交互に組み合わせて一つの複雑なリズムを作る、インターロッキングな表現が多く見られます。これも、他者との掛け合い、対話を大事にしていることの表れだと感じます。そして、二人で補完しあい、協力することで、一人では到底弾けないようなものすごくスピーディで複雑なリズムが演奏できるのです。他者との対話、協力、聴き合うことの素晴らしさを、バリ人の音楽哲学の中に強く見出すことができます。

このようなバリの音楽に触れて、私は「ああこれはまさに、理想の社会そのものを描いているようだ」と感じました。多様性と調和という、私が音楽において最も理想型だと思っていた姿が、そこにありありと実現しているのを目の当たりにして、深く感銘を受けたのです。
皆とても自然体で伸び伸びと音を出していて、でも自分が発した音は確かに誰かがちゃんと受け止めてくれるという土壌がある。それ故に皆安心して自分らしく表現ができる。そしてそれを聴く人々にもそのエネルギーは伝わり、音楽が生まれた途端、その場の空気が変わり、そこにいる人たちをすんなりと一体にしてしまう。そんな力のあるバリの音楽は、私の理想の音楽像そのものでした。
それ以来、バリの音楽の虜になってしまったのです。

ペンジョールと呼ばれるお祭りの飾りが町中に見られる

3.バリにおける儀礼や芸能

バリでの芸術は音楽に限りません。踊りも音楽と双子の兄弟のように一対の存在です。その二つは不可分なものなのです。そして芸能者は一つの楽器に限らず全ての楽器を演奏できるだけでなく、踊りも歌もこなすのです。
西洋音楽のように、一つの専門を極めるという発想ではなく、全てを網羅することによって初めて全体が見える、という考え方です。医学でも専門性に分かれていく西洋医学と、全体をみる東洋医学の違いがありますが、芸能においても洋の東西の違いが現れます。
さらに、お祭りのための非常に精巧な装飾品の製作や、バリの伝統絵画を描く人もいて、美術的能力にも長けているという、バリ人は実に多彩な才能の持ち主たちです。そして、それが特殊な能力を持った人だけに限られたことではなく、バリ人なら祭りに向けて誰もが歌い、踊り、演奏し、飾りの制作も行うのです。
現代の私たちには驚くべきことですが、一昔前まで日本もきっとそうだったに違いありません。いつの間にか日常の忙しさゆえ、お祭りや村のお囃子などを簡素化したりやらなくなったりしてしまった結果、本来なら誰もが身につけた様々な技術を継承されなくなってしまっているのでしょう。バリの人たちはそれをきちんと守り、継承していくべきだという考えを、心の中心にきちんと持っているからこそ、今もそれを守っていられているのだなとも感じました。

とにかく年中祭りや儀礼が多いのがバリの特徴です。今回の滞在時には特に、クニンガン、オゴオゴ、ニュピと言った重要な年中行事が立て続けにあるという貴重なタイミングだったので、バリの人々が大事にしている儀礼に多く立ち会うことができました。その辺りもこれから順にご紹介していきます。



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