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「働き方改革」は周回遅れであるという現実

優秀なIT人材に対する報酬が、アメリカはもちろん、アジアとの比較でも日本が低いという現実。これは、わかっている人には前々から分かっていたことだし、何もIT人材に限ったことではない、ということも、分かっていたこと。

記事中にもある通り、それをなんとかしようという動きも出て来ているが、あくまでもこれまでの人事制度を基本として、そこに「特別制度」という形で特例を設けているに過ぎず、抜本的な改革を行うことを避けた「時間稼ぎ」で、後になるほど大きな痛みとなっていくであろうことは想像にかたくないのだが、それをしないのもまた、(後述する)歴史的な観点からも、とても日本らしい姿でもある。

日本企業の業績が順調である、という話は、実は零細企業の苦境によって労働市場に出て来た人材を、人件費を抑制したまま大企業が雇用した結果に過ぎない、という記事もあった。

日本(人)の生産性は、OECDの先進7カ国で最低であることが定位置のようになってしまっているが、ここに来て叫ばれている「働き方改革」が、この低い生産性を改善するようには思えないと感じていたところで、橘玲氏が明快にその背景を整理してくれていた。

橘氏の整理からすると、今進行している「働き方改革」は働き方1.0から2.0への移行に過ぎず、世界で進行しているのは3.0から4.0への移行である、ということになる。つまり、「働き方改革」が達成されたところで、世界の潮流からすれば、よくて周回遅れ、下手をすると2周遅れ、ということだ。

確かに、日本は賃金をはじめとして全てが概ね低い価格で抑えられているから、年収1,000万超えでも貧困層となり路上駐車した車(キャンピングカー)で寝泊まりしているというシリコンバレーのような状況からすれば、「安値安定」の居心地が良い社会であり、また言葉の問題もあって「外の世界」が見えにくいから、(外の世界を見ない限りは)それで満足できているという面もあると思う。それが続くならそれでも良いのだが、そうでなければ鎖国の江戸から開国の明治のような、大きな混乱と変革を余儀なくされる時が(再び、三たび)くるのではないか、という気もする。

一方で、江戸から明治もそうだし、太平洋戦争敗戦の前後もそうだが、それまでとは180度違うと言っていいほどの大きな社会の変動があって、それが社会が変わる原動力となって来た日本の歴史を思うと、今はそうした変動を迎える前の時期に差し掛かっているということなのかもしれない。

段階的な移行であれば組織も軟着陸できるのだと思うが、このままだと、そして日本の過去の歴史から考えると、軟着陸ではなくハードランディングになる可能性は高いように思うし、そうなると組織にいる人たち、組織にいる方が向いている人たちまで、そこから放り出されるような事態になるのかもしれない。

そうなるなら、多くの人が、否応なく「起業」やそれに類する事態と向き合わなければいけなくなる可能性もある。そんなことを思っていたら、今日のまつひろ氏のnoteのテーマがこれだった。

段階的な移行にせよ、歴史的な劇的な断絶によるものにせよ、遅かれ早かれ今のままでは済まない事態が起きそうな情勢であり、そこで痛みを感じる人もいれば、それをチャンスに変える人もいる。そのどちらになるのか、それもまた、厳しいようだけれど、結局は個人の選択である。


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