見出し画像

コーヒーを飲めば何かが解決することになっている

 高円寺駅前には、コーヒーを飲むことができる本屋がある。今日、レジの横にオススメの本として「珈琲時間」が紹介されていた。

 コーヒーカップの跡を装丁に使う、このセンス! 個人的にも人にあげたり買いなおしたりで3冊ほど購入してる好きな漫画だ。

 コーヒーが関わるちょっと変わった日常の、ちょっといい短編集。物語は大げさ過ぎない近さがあって、そこもまるでコーヒーのよう。

 是非とも読んで欲しいのだけど、あなたが読む前に内容をひとつ引用してしまうことを許して欲しい。

人生に必要なものは何か? 生きる糧となるものは?
酒か? 恋愛か? 金か?
それらは強すぎる
私は一杯のコーヒーだと思う
一杯のコーヒーと口ずさむ歌 それが生きる慰めとなるのだ
さあコーヒーを飲もう 今すぐに!
なぜなら人はいつ死ぬかわからないからだ!
さあコーヒーを飲もう 今すぐに!
なぜなら人生はあっという間に過ぎ去ってしまうからだ!

 このシーンが、いつまでも心に残ってしまった。そのことに気付いて以来、何か問題を背負ったとき、コーヒーを飲むことにしている。

 悲しいことがあった。→コーヒーを飲む
 やる気が出ない。→コーヒーを飲む
 優先順位が決まらない。→コーヒーを飲む
 人生、どうすれば良いか分からない。→コーヒーを飲む 

 自分の中で、コーヒー飲むと何かが解決することになっている。問題そのものが解決するわけじゃないけど、”何か”が解決する。

 そういえばコーヒールンバという曲でも、偉いお坊さんがコーヒー飲ませて人生解決させてるし、案外そういうものなのかもしれない。

 特に能動的に休憩をする場合において、コーヒーは凄く頼りになる。冷凍庫から真空保存されている豆を取り出し、手回しで挽き、沸かしたお湯をリズミカルに注ぐ。僅かな時間で充実したリフレッシュが出来るし、そのあとはコーヒー片手に作業ができるという素晴らしい副次的な結果をもたらす。
 
 カフェオレが合う豆の時には牛乳を買っておくし、おなかが空いて無塩バターを使ったバターコーヒーなんてのを飲むときもある。ケーキを買ってきた時にコーヒーを淹れると幸せの予感に長く浸れるし、何より一緒に食べるケーキが一層美味しくなる。
 
 今日は、コーヒーを飲む代わりにコーヒーのことを文章にしてみようと思った。しかし、書いてるうちにコーヒーが飲みたくなったので、やはりコーヒーも淹れることにする。

 この記事の目的は? オチは? それは分からない。
 分からないのでコーヒーを飲ませてもらう。

 ゆっくりコーヒーを飲むと、何かが解決する気がする。この記事にオチが無い問題さえも15分後には解決しているだろう。noteにコーヒーを振舞う機能があればそれを共有できたのに、残念だ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?