見出し画像

モダンパフォーマーの祖、ロイ・フラー

 1900年、パリ万博。まだ女性によるダンスが卑しいものだった時代に、とある女性ダンサーによる公演が開かれました。ロートレック、ロダン、ドビュッシーなどの芸術家をも魅了し、当時あまりの人気から彼女風のスカートやハンカチまで売られていたというスーパースター、それが「ロイ・フラー」です。

 彼女の有名なダンスは大きなひだのある衣装を使って踊るものですが、これは白黒動画に着色したものが残っているので観たほうが早いでしょう。

 バレエとは全く異なる自然な踊りからニューダンスの祖とも言われますが、踊り意外の部分も極めて優れた人でした。

 さきほどの映像は1896年のものですが、映画の祖・リュミエール兄弟がカメラや映写機を作ったのが1895年ですから、彼女は映像作品のパイオニアでもあったようです。

 ちょうどこの頃は照明が電気に切り替わったばかりの時代でもあります。そんな中、フラーは誰よりも早く舞台における照明演出を発明します。ゼラ(色フィルター)を扱うために20人の技師を使うと言い張ったり、下から照明を当てたガラス板の上で踊る特許をとったりと多くの挑戦を行いました。照明効果を最大にするために一切の照明を当てない「完全暗転」も彼女の発明です。

     現代の照明。燈色のゼラ。

 他にも、出演者を写す舞台上の鏡の配置で特許を取得したり、光る衣装で暗闇の中を踊ったり、ポピュラー音楽からワーグナーやモーツァルトなどを使用するようになったりと、総合的な挑戦を続けました。
 ドビュッシーの「Les Sirènes」を使用した際、作曲した本人が「彼女の創作した作品によってはじめて自分の音楽が聞こえた」とコメントを残しています。

 このダンスに留まらない表現について、彼女自身はこう語っています。

 「私は、通常の理論とまったく関連性のない新しい形の芸術を創造したかった。魂と感官とに同時に完璧な悦びをもたらす芸術、現実と夢、光と音、動きとリズムが刺激的な統一を形作る芸術を創造したかった」

 彼女は1900年以降はプロデューサーや振付師としても活動し、イザドラ・ダンカンや花子などの後進のために尽力、著名な芸術家たちやルーマニアの女王と交流を深め、自分の劇団・劇場・博物館・学校を作り、最後はシスターとして赤十字の活動に奔走しました。

 印象派の展示が1874年、ピカソのアビニヨンの娘たちが1907年。そんな芸術が激動している時代のパリにおいて、最新の技術と全く新しいダンスを使った総合的パフォーマンスで魅了したロイ・フラーの活躍。

 彼女こそモダンパフォーマーの偉大なる祖と言えるのではないでしょうか。

出典
20世紀ダンス史
http://en.wikipedia.org/wiki/Loie_Fuller
ロイ・フラーに関する一考察

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?