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文章から、にじみ出るもの

週末に、何人かのブログを読んだ。
どれもこれも、その人らしさが文章から伝わる、いい内容だった。
(驚いたことに、ほとんどがnoteだった)

文章には、その人の性格や、身につけた知識とか経験、大きく言うと「人生」みたいなものが出る。間違いなく出る。
だから、少し怖いところもある。

「いい文章だなぁ」と思う反面で、心の片隅で、ほんのちょっとだけ、ぼくは嫉妬している。
「くそぉ。こんなきれいな言葉で核心を射抜きやがって。オレだって…」

明るい照明の下に引っ張り出してくると、なんとも醜い、姑息で恥ずかしい言葉だけど、これもぼくだ。

時間にすると1秒に満たないコンマ何秒という瞬間、「スキ」を押しながら、ぼくの心を影のように暗い気持ちが、ふっとよぎる。

たぶん、ぼくには、その人のような「いい文章」が書けないからだ。

いい文章は、時間をかければ書ける、というものではない。

重ねてきた10年、20年、30年という単位のなにかによって、人間はみんな違う。それと同じで、どんなに手を尽くしても、他人のいい文章は手に入らない。他人のいい性格や、いい友達が手に入らないように。
当たり前だけど、ぼくはその人にはなれない。

でも、ふと思うことがある。

あの人のように、努力することはできるんじゃないか。

諦めずにやり続けて、多くの人から評価されるようになった人を、ぼくは知っている。

「よくやるね」と眺めているあいだ、あの人は愚直にやり続け、信頼を勝ち取った。
たぶん、諦めかけたときもあったと思う。思ったようにできないで、もがいたときもあったと思う。
でも、やり続けたから、あの人らしい場所にたどり着くことができた。
いい文章は、きっとその試行錯誤から生まれる。その努力は、言葉からにじみ出る。

ぼくは、あの人の努力する姿を見ていた。そして、自分もそうありたいと思うようになった。
なぜだろう。40歳になったからだろうか。まあ、いいや。

仕事で、職場で、理想を追い求めるのは、ときに難しいこともある。
多くの人が関係する仕事ほど、自分の理想を実現するためのステップにする…なんて簡単にはできない。でも、そこを1mmずつ動かして、近づけていく楽しさもある。

それとは別に、noteのような個人で発信できる場を、自分の理想のための実験場にするのは比較的やりやすい。
だって、無料で、いつでも、誰だって始められるからね。

ぼくにとっては、今の自分には書けない「いい文章」が、追い求めたい理想に近い。

だから、あの人の、その人の、いい文章をイメージしながら、どういう言葉をどう並べたら近づけるのかと考えながら、少しずつ並べては消してを繰り返してみる。

そうやって練習したらいいと思うんだ。読まれることとか、どういう感想を言ってもらいたいかとか、ひとまず置いといて。理想の「いい文章」を、写経するかのように書いてみればいい。
もしかすると、たまたま通りがかった人が「スキ」を押してくれるかもしれない。

その繰り返しが、きっと自分にしか書けない、いい文章への一歩につながる。
そう、ぼくは信じている。

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