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応援される存在であるために

「観客の笑い声が入って、ようやく映画が完成する」
そう語ったのは、三谷幸喜さんだ。

インターネットの記事は、公開するとその日のうちにSNSで反響が見える。だから、三谷さんの言葉と近い感覚になったりする。
記事の内容に共感してくれた感想や、記事から派生した新しいアイデアを読んだりできるのは、Webならではの「完成」のありかただろう。

似たような話で、歌舞伎の上演中に「成田屋!」「よっ!ご両人!」などと声をかける「大向こう(おおむこう)」と呼ばれる人たちがいる。
書籍『応援される会社』に紹介されていた大向こうの会、弥生会の人の話が、作品に対するファンのありかたとして、とても共感できた。

彼らは、自分たちの声が歌舞伎という主菜を引き立てる「薬味」だと認識している。「お寿司のわさびみたいなもの」だと。悪目立ちするとよくないし、一方で、まったくないのも物足りない。だから、「大向こうは客席の文化」なのだそうだ。歌舞伎の舞台への理解と、個人として作品への感動との、両方が必要となる。観客でありながら、作品の一部でもある存在。とても熱量のあるお客さんだ。

同じように、客席が良いお客さんで埋まっている企業や組織、個人がある。

それは、フォロワー数という可視化できるかたちになっていることもあるし、もっと目に見えない商品の思想や現場の雰囲気に現れていたりする。ひとつ言えるのは、数日とか数ヶ月という単位で、簡単に「良いお客さん」を集めることはできないということだ。

何年も続けているうちに、「よっ!」と声をかけてくれる良いお客さんがついてくれる。そういうファンがいてくれるから、遠くから見ると奇抜に感じるサービスや、誰が買うんだろうという商品を安心して世に出すことができるのだろう。その関係性も、大向こうの人たちと同じように、お客さんがいたから新しいものをつくることができた、と言えるような気がする。

たぶんぼくは、そういう関係を求めてTwitterという遊び場に参加しているような気がする。自分がお客さんであったり、つくる側であったり。両側を行き来しながら、信頼できるなにかを探している。

つい、フォロワーや反響の「数」に目を奪われがちだけど、大事なのはつながる相手との信頼関係なんだなと、書いてみて改めて思ったのです。

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