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noteを書く目的は「雑談がしたい」でいいんじゃないか

久しぶりにnoteを書きます。
書くのが3ヶ月ぶりなので、文章がですます調です。

書きたいなと思ったのは、いま読んでいる吉田尚記さんの『なぜ、この人と話をすると楽になるのか』の内容が良かったからです。

吉田さんのことを知ったのは、「質問力」の記事で「小さな声の人には、小さな声で話しかける」という話がきっかけでした。信頼できる人だなと思って、本を買って読んでいます。

で、その本で心に残っているのが

無意味な雑談をすることは、生物学的に気持ちが良いことだし、正しいこと

という部分。

人間にとってコミュニケーションはある種の快楽だし、役に立つ情報じゃなくて問題ない。むしろ有意義ではない「雑談」こそ、気持ちがいいものだし、コミュニケーションとして正しい…という話を読んで、ああ。そうか。と思ったわけです。

noteやTwitterで誰かとつながりたい、できれば多くの人から評価されたりホメられたりしたいとぼくが思うのは、きっと「快楽」がほしいんです。コメントやRTされると気持ちがいい。そうやって、画面の向こうの誰かと雑談したいから、こうやって文章を書いたりしてるんでしょうね。

誰かと雑談したい。

それを目的に、しばらく書いてみようと思いました。変に身構えたりせず、ハットトリック決めたろうとか考えずに、「こんなこと思ったんだけど、どう?」くらいでパスをまわす、そんなnoteで良いんじゃないかと、5月の終わりに思ったわけです。

(月末最終日で仕事がばたばたしたけど、なんとか書けてよかった)

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