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バビロンのデイライト(第1章の9)

 代々木上原課長は、町田の「二重構造型思考」に気がつくこともなく、説教を続けていた。

 我々の製品の重要な発表は明日だ(おそらくそのはずである)。だから発表を待たずに勝手に動いてもらっちゃ困る。時間を稼ぎなさい。お前は商工会議所の連中のところに今からもう一度行くんだ。そして「ドライムス・コンバータ」を持参して、何ならタダ同然で二、三個渡してもいいから、なんとかしてあいつらの要求に応えることを約束するんだ。代々木上原課長は言う。

 いいか。何としても売りつけるんだ。そのために頭を床にこすりつけろつけろ。そして/許しを乞うんダ。全存在に賭けて、私の存在の不確かさを世界に留めおくために貴方様の許しが必要でス/お願いしまス/と本気で。命がけで。心からの叫びを聞かせて差し上げロ。貴方様のペニスをズッポリとくわえさせてもらいますと言い添えて!
 
 課長!あんたは!どこまで!愚か者なのか?
 
 町田は思わずのけぞった。
 あんたは単層構造型思考を取っているせいで、頭の中を上げ底にされているじゃないか。頭の中をハックされるに留まらず、実際に筋肉を動かされて発声にまで至っているじゃないか。代々木上原課長よ、それは商工会議所のおっさんの声じゃないか。
  
 あと四十七時間だぞ。間に合うかあ?町田さんよお。マフィアが出て行かなかったら頭が吹っ飛ぶぞお。ついでにマフィアの受け入れについて渋谷区とも交渉よろ。それできっかり四十八時間以内によろ!
 シクヨロ!
 できなかったら頭部大爆破だかんね!
 バハハイ!
  
 代々木上原課長(の口を借りた商工会議所のおじさん)が言う。「向こう」では、ドライムスを介して何人かが喋っているらしい。

 町田は、代々木上原課長のハックされた筐体(身体)を見捨てて部屋を出た。課長は自分がハックされていることにいっさい気がついていない。ゾッとする。いつか何事も気がつくことなく、あの世に更迭されるだろう。絶望的な気分になりながら、町田は部屋を後にした。上司は独り言を言うように、まだ説教を続けている。
 
 ドライムスで他人をハックするのは、当然、いの一番に法律で禁止された行為であるが、そんなものは電話を使って電話することを禁止するようなものだ。ドライムスを使う限りはそこを避けては通れない。法律で禁止されようが、それを使わなければ毎日の仕事は成り立たない。意識に対して干渉してやり取りしようとすれば、当然相手の意識レベルが低ければ入れてしまうわけだ。
 
 その対策として開発されたのが「二重構造型思考」であるわけデスが。
 
 二重構造型思考は最新の思考セキュリティ手法であり、かつ、いくつかの「枯れた技術」の組み合わせによって作られた、極めてコストパフォーマンスの高い手法であった。

 原理的には、古典的な理論や技術をいくつか組み合わせたものだが、各人固有の神経回路を「物理的に」思考ブロックに結びつけた点がユニークで、そこで電気信号としての古典的な思考読み取りと、最新のドライムスが使う意識の立ち上がりによる立体的な思考を行き来することで、結果的に「二重構造型思考」を実現している。

 従って、高度なセキュリティを築くためには一定程度の知能を要する。
 それは単純な知能の問題でなく、一定の思考パターンが強いことも大事なファクターの一つだ。
 つまり、セキュリティが強いかどうかは、本人の思考・行動パターンを自覚し、そのパターンが形成される過程を人生の中でどのようにたどったか、そしてどのように強化したかどうかによる。

 高セキュリティのポイントは「何を目指して、何を強化すれば結果的に思考セキュリティが強化されるか?」が人それぞれで違う、ということだ。かぎりなく個別解に近い問題であり、だから、一人ひとりが自分固有のパターンを認識し、鍛えることが求められる。

 頭も対して良くなく、危機感も薄く、自分独自の何かについて考えたことがなく、そのくせ自分は十分にユニークだと思っている人間は得てしてハックされやすい。ハックされやすい人間は、周囲に迷惑をかけるのであるから、死んでも文句が言えない。事実、企業が「リストラ」しているのはそういう社員たちである。
 
 「ホロコーストの再来だ!」と説いて国会前でデモをしていた人たちが次々とハックされ、お互いの背中に「バカ」と落書きをし合った挙句、いっせいに頭部を爆破され、せっせと築き上げた凡庸な神経回路を一瞬にして吹き飛ばされて死んだ映像は「笑える映像大賞」(ドイツ主催)に選ばれたので、ご存知のかたも多いと思う。日本をコケにする文脈での受賞であったが、日本では「さすがドイツ。ユーモアを解する国だ」と大絶賛する意見が大半だったので、「ないわwww」とドイツは引いたのであったが、「どっちもどっちww」という知的な意見がアメリカから出されて幕引き。この心温まるユーモアがいま世界を一つにしようとしているんだよお。
 
 突如、「四十八時間」(すでに一時間が経過)という命の宣告を出され、「やべえ!」と発奮するかと思いきや、町田は小便を垂らし、何をなす気にもならなかった。

(つづく)

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