#エッセイ 『たかが道具じゃないですか・・』

 その昔は娯楽の王様とでも云うべき物はテレビでした。スイッチをひねれば電波とやらを伝ってブラウン管の中から歌や音楽、ドラマや映画、時にはお笑いなど全ての情報がコレで賄えていたような気がします。中学生くらいになると深夜のラジオを聞いて楽しむなんていう記憶を持っている方もいらっしゃるのではないでしょうか?若かりし頃は生活の中に入り込んでくる新しいテレビやビデオデッキ、または最新のラジカセなど何の恐れも疑問も持たずに、なんといなくチャカチャカ触って使い方を勝手に理解してマスターしたのに・・このような記憶を持つ方はおそらく昭和五十年の初めくらいまでに生まれた方なのではないでしょうか。日々同じような生活を繰り返しているはずなのに気が付けば社会で使われている電子機器の機能が大きく変わってしまって、今ではもう携帯電話をはじめ新しいインフラについていくことすら困難になっているなんていう人は多いのではないでしょうか?そしてその一人が実は僕です。
    何でも新しい物を使いこなせたらそれはそれで便利なのでしょうが、今の僕が最新の機能の電子機器を手にすると中々そうは問屋が卸してくれません。もっと自分が若ければかつてのラジカセを触ったように携帯でもパソコンでも何となく使い方を覚えていくのでしょうが、おじさんになって久しい僕はそれらを手にすると固まってしまうのです。仕事上、社内でどうしても使わないといけないという強制があるので、自分の仕事に関わる事なら何とかみんなに遅れながらも教えてもらって覚えるのですが、知らないうちに色々な機能が追加されてもうてんてこ舞いの日々を送っている次第です。そんな感じですからもちろん応用して使うなんてもってのほかです!会社のオフィスで僕の後ろの席では、白髪交じりの僕よりハゲた年輩のおじさんが今日も背中を丸めて両手の人差し指でパソコンをカチャカチャしています。そのパソコンに夢中になる姿を見るともう他人とは思えないです。その姿はまさに鏡に映った自分です!その人は社内で歳相応に遠慮という概念をすでに無くしているので、自分の好きなタイミングで気軽に誰にでも質問しています。歳のせいか記憶力と理解力が落ちてきているのでしょう。(そこも僕と同じです・・。)同じ質問を何回も繰り返すので、周りにいる若い社員は面倒くさがって雑な対応で教えるのですが、若い人にどんなに嫌がられても『ワーハッハッ!エーやんか!』と笑い飛ばしてどこ吹く風。前向きと言えば聞こえはいいのかもしれませんが、まぁ基本、自分の事しか考えないのでしょう。一方僕は“俺もこんな図々しいジジイになれたらな・・”と思いつつ、ポリポリと頭を掻いて若い子ご機嫌を取りながらおそるおそる質問をしたりしているんです。そんな僕の姿は周りから見ると、かつて富士通のテレビCMで『聞いてみたいけどチョッと怖い・・触ってみたいけどチョッと怖い・・』とやっていたアニメの坂田利夫みたい映っているんだろうなぁ・・と自覚しています。そして『とうとう・・というか、とっくに俺もそっちの側に行っちゃったかぁ・・・』と半ばあきらめの境地です。でもチョッと腹立つのですが、僕と同じくらいの歳でチャキチャキとこの手の電子機器を使いこなす奴も社内はいたりして、そんな奴を見かけるとさっきのおじさんと二人で並んで『おお~ヤルやんけ・・』と思わず尊敬のまなざしで見つめてしまうのです。そして自分の机に戻って目の前のパソコンが思い通りに動かないと『なーぜじゃー・・・』と呟いたりして過ごしています。
    とかく今の時代はパソコンと携帯です。それが操れないと何も出来ないんです!チョッと言い過ぎかも擦れませんが・・。しかし、よくよく考えれば、パソコンも携帯も単なる道具なんですね。それによって仕事の在り方が大きく変わったという事は事実ですが、実は仕事の中身は変わって無いというのが本当の所でしょう。電子ハンコに電子決済、受注票の送信から商品の出荷など全部パソコンと携帯でやっていますが、その手順が変わってもやるべき内容は実は何一つ変わっていないのです。おじさんである僕はそこに活路を見出すのです!実際の職務では今までの経験とノウハウという事がモノを言います。パソコンや携帯は仕事の中身の判断は決してしてくれません。また仕事上のトラブル処理は自動ではしてくれません。最後はやっぱり生身の人間が判断します。“まだ自分の居場所はありそうだな・・”なんて腹の中でほくそえんでみたりしているのですが、『それだけ分かってんならアンタもパソコンくらい覚えなさいよ!』と言われそうですね。
   実はこの“居場所を確保する”という発想に僕の弱みがあるのです。多少の歳を重ねても好きでやっている仕事なら、もしくは電子機器を触る事が好きならば仕事で使うパソコン等も苦にもならずにマスターするのでしょうが、どっちも好きでやっている事ではないのでしょうね・・本音で言えば。サラリーマンという人種の多くは歳を重ねると、仕事は生きるための算段という側面の方が強くなって、『仕事を通じてやりがいや希望を求める』という側面はほとんど消えてしまっている人が多いのではないかと思うのです。そして実はパソコンの使い方云々がそういう気持ちをおこさせたというのも実は違うのでしょう。それは後から出てきた言い訳みたいなもので、本当は心のどこかで自分の先が見えた気になったからだと思っています。それでも僕は今でも仕事をしている時に、時には小さな達成感もいまだに感じていたりします。やっぱり小さな仕事でも力を尽くしてこなした業務を終えた後にはそんな気持ちが今でも僕の中にはあるのです。枯れてしまうのはまだ早いと思っています。せっかくの人生です。最後まで社会人として自分なりに走り抜きたいと思うなら、やっぱり身の回りの環境を十二分に理解して操れるようにならんといかんのですね!

 パソコンや携帯の操作について一挙に多くの事を覚える必要なんかは無いのでしょう。むしろ道具として存在するパソコンに振り回されるのではなく、『俺の仕事でやらなきゃいかんのは何だっけ?』という中身に焦点を当ててもう一度仕切り直して仕事に向きあるという事から始めてみようかな・・・と思っています。心の中にまだくすぶりながら消えかかっている灯だけは消えない様に、いや消さない様に頑張るつもりです。生活の糧を得る為だけに仕事をしていたんじゃ人生つまらないですからね・・。

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