奇説無惨絵条々書影

【天狼院書店初心者短編2019年10月コース受講者向け】①根源に耳を傾ける

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【注意】
 こちらのエントリは、天狼院書店さんで開催中の「短編小説100枚を二ヶ月で書いてみる」講座参加者の方向けのエッセイです。参加していない皆様にもなにがしかに気づきがあるかもしれませんが、このエッセイは基本的に「初心者の方が小説を書き切る」という目的設定をした講座に向けたものでありますので、中級者、上級者の方がご覧の際にはそうした点をご注意の上ご覧ください。
【注意ここまで】

 講座受講者の皆様、十月頭の講座では誠にありがとうございました。早くも第一回講座から一週間と少し、いかがお過ごしでしょうか。わたしは(その間に青森のサイン会にお邪魔したりその足で取材に行ったり、ラジオの収録に当たったりある作家さんと酒盛りしたりといろいろ忙しかったのですが)元気溌剌です。
 さて皆さま、小説は進んでいますか?
 進んでらっしゃらない? ええ、当たり前のことです。それだけ、慣れてらっしゃらない方が小説を書くのは難しいのです。
 なぜ難しいのか。今日はそのお話です。

 こちらは過去エントリ

 も参照してください。

 最初の講座で、「小説を書くにおいて必要な三要素」のお話をしました。

 1、根源
 2、体力(精神力)
 3、技術

 この三つによって小説執筆は成り立っています、と説明しました。そして、2と3については小説講座である程度サポートやご協力ができる、というお話をしました。ところが、1に関してはなかなか小説講座では踏み込むことのできない領域ですよ、とも説明しましたね。
 なぜなら、1というのは、皆さん一人一人の人生の軌跡そのものだからです。
 ここでいう「根源」は、あなたが人生で培ってきた好悪、価値判断・価値観の集積です。もっといえば、「あなたの癖」とすらいえるものです。例えば、絵の真贋判定の際、その道のプロは人物像の耳や馬の顔といった、あまり絵描きが注意を払わない場所に目を向けるといいます。そういう意識しないところに「その人らしさ」が滲むらしいのですが、それは小説も例外ではありません。小さな描写のそこかしこに横溢する「作家らしさ」、これが小説のオリジナリティとなってゆくのです。だからこそ、おいそれと皆さんの「根源」に触れることは出来ないですし、小説養成講座においてもここを問うことは出来ないのです。
 ただ、実作者として、「根源」との関わり方をお伝えすることは出来ます。

 「根源」は、時として残酷なものです。
 わたしにも言えることですが、時として己の「根源」はひどくエゴイスティックで途轍もなく汚いものです。
 皆さんにだってきっと、他人の言動に「死ねばいいのに」と思ってしまったこととか、絶対に許せない相手だとか、己のやってしまった許されざることの一つや二つ、あるんじゃないかと思います。けれど、普段、皆さんはそうしたものに蓋をして暮らしておられます。いや、蓋をすること自体は悪いことではありません。むしろ、社会で生きるにおいては、そうでもしないと爪弾きにあってしまいます。実際、わたしも臭いものに蓋をして日々を暮らしています。
 けれど、そうしたものたちは滓となって、あなたの心の奥底にわだかまっています。
 こういう話をすると、「あっ、こういう汚いものを掬い出して創作の糧にすればいいんだ」と早合点する方もいらっしゃるのですが、そればかりではありません。もちろん、そうした滓でもって創作を作る方もいらっしゃいますが、それはかなりのストロングスタイルです。
 わたしが申し上げたいのは、「滓を抱えて生きているあなたと向き合ってみてください」ということなのです。
 普段、あなたが見て見ぬふりをしているもの、心の奥底でぼこぼこと音を立てて発酵しているもの、実はそれこそが、あなたを小説講座へと導いたものなのです。
 自分の心の底に何かがある。
 心の奥底にたゆたう滓の放つ不気味な音に耳を傾けてみてください。すると、自分の書きたいものが何なのか、おぼろげに見えてくるやもしれません。

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