一点傑作主義の嵐の中で
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「今、僕らのジャンルでは、一点傑作主義が蔓延している」
ある別ジャンルの作家さん(大先輩ですし、別ジャンルの方なのでお名前は伏せます)のお言葉に、わたしは衝撃を受けました。
ああ、そちらのジャンルもそうなのですか、と。
ここから先はわたしが今感じている思いなのですが、今、歴史小説の界隈では一点傑作主義に侵食されています。
えっ、いいことじゃないかって?
はい、ある種の読者さんにとってはよいことでしょう。けれど、広い目で見たときに、この傾向は何やら禍根を残す気がしています。
わたしは基本的に多様性の鬼でございまして、豊かな市場には様々な需要と供給があるものだと信じて疑わない人間です。それだけに、変な動悸は止みません。
もちろん、「一点傑作主義」が悪いとは申しませんが、なんとなく、そうした方がええんちゃうの……的な空気に引きずられつつある己が嫌といいますか。
実を言うと、今、わたしはあまり忙しくし過ぎないようにしようと考えているところです。それは純粋にインプットとアウトプットのバランスを鑑み、少し歩みを遅くした方がよいという判断からのものですが、これが己の判断なのか、それとも己以外の何物からの要請なのかでまったく話が変わってきます。
作家は「やらされる」商売ではなく、「やる」商売だというのがわたしの持論です。どんなに忙しくても前のめりに書く気概を持たないとそもそも務まらない稼業ですし、もし、前のめりになれないとすれば、自分の心をどこかに置き去りにして書いているということに他なりません。作家の主業務は「企む」こと。である以上は、「企む」だけの体力をきちんと残し、布石を打っていった方がよいというのがわたしの立場です。
一点傑作主義は、ものすごく「企む」力を消費します。というより、数を絞って一作に「企む」力を投入するという、投機的なエネルギーの遣い方をすることになります。
果たして、前のめりに「一点傑作主義」の時代に対応し切ることができるのだろうか……。
また一つ、腑に落とさねばならない問題を手に入れてしまった感があります。
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