廉太郎ノオト書影おびあり

『廉太郎ノオト』(中央公論新社)のさらなるノオト⑱羽織破落戸(はおりごろ)と明治の新聞

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 『廉太郎ノオト』は基本的に実在の人物しか出していないのですが、実は唯一、非実在の人物たちがいます。本作で名前を与えられていない”新聞屋”とその家族です。
 今日はこの人々の話をしようかと思います。

 ”新聞屋”に浴びせられる羽織破落戸というのは、蔑称に近い呼び方です。
 明治初期の新聞は今の大手新聞とは違い、娯楽・ゴシップ紙的な意味合いの強いものでした。大衆のオピニオンをけん引するという現代の大手新聞のあり方とはずいぶん事情が異なるといえましょう。
 明治初期、新聞の主筆(記事を書く人)とは別に、雇人の立場で動き回っていた人々がいます。新聞社から揃いの羽織を支給され、ネタ探しをする人々がいたのです。ところがそんな彼らはかなり強引な取材を行ない、時には新聞に書くぞと相手を脅して金を巻き上げるなどの行為を行ない、忌み嫌われていました。そんなわけで、こういった人々は「羽織破落戸」として忌み嫌われていたのです(余談ながら、新聞界隈の方が反権力の新聞人という意味合いで「羽織破落戸」という言葉を使っているのを見たのですが、ちょっとそれはどうなんだろうと思う今日この頃です)。
 そんな羽織破落戸たちは明治二十年代になると徐々に姿を消してゆきます。新聞がやがて社会の木鐸としての位置を確立するに従い、反社会的なふるまいさえ見られたその活躍の場が小さくなっていったということなのでしょう。時代考証的な観点からは、明治三十年代が舞台である『廉太郎ノオト』においては登場させにくい職業なのですが、あえて登場させました。それは、本作に「上流階級にあらざる視点」を投入したかったからです。
 本作は上流階級の話です。廉太郎さんからして家老の孫ですし、東京音楽学校に集う人々の多くは少なくとも家の子供を上の学校に出すことができる程度には裕福な家庭にいたことになります。もちろん、そこだけでお話を完結させることもできたでしょうが、それでは話が小さくなりそうだったこともあり、下流の人々を代弁する人物を出したく思い、新聞屋を登場させたのです。

 実をいうと、”新聞屋”の存在は、本作でわたしが一番描きたかったものに関わってくるのです。本作には数多くの嘘が紛れ込んでいますが、実は新聞屋周りに一番嘘が多く、そこにこそ、著者であるわたしの願いが籠っているのです。
 そのわたしの願いとは……。まあ、すべてを話してしまうのは野暮というものです。ここは、読者の皆様で解きほぐしてみてください。

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