とある右寄り教誨師との邂逅

懐かしい旧友に会った。彼の肩書は以下に列記してみる。
政治結社塾長
霊園オーナー
カトリック神父
とある神社の氏子頭
虐待児童を保護するNPO法人主宰
某拘置所教誨師
元ミュージシャン

幼馴染T君が現在の僕の困難と窮乏を見かねて紹介してくれたのが
その名前の分からなかった大学時代の旧友H氏だった。
別の大学に通う長い付き合いの友人O氏の後輩にあたるH氏との縁は既に
30年以上前に繋がっていた。

学園祭の音楽ライブでH氏のバンドにアクシデントがあった。
ボーカルを務める人が風邪をひいて歌えなくなった。
O氏が冗談で僕を推し出して「ゲストボーカルならここにいるよ」
リハーサルだけ付き合う形で仮に歌う事にした。

幸いにも歌える曲だらけだったのでリハーサルでテンション上げて
マジのガチで歌わせて貰った。
さあ観客に戻るかな役目は済んだし後はどうにかするだろと思ったら
「本番までお願いします」との事。
つまりど素人がボーカルやる事になった。いいのかおい……。

本番は緊張したが一曲終わるたびに色々揚がってくるもので
気持ちいいなと心から思った。
観客の皆さんにはさぞいい迷惑だっただろう。

意外と高評価だったらしい。

H氏はその後先輩に引きずられる形とで大学を辞め
プロのバンドマンとして東京に出ていった。
そして夢は破れて故郷に戻って来た。

彼の家は3代続く神父の家であり地主でもあり政治結社でもある。
神職になった兄弟が誰も継ぎたがらなくて彼が大学の神学部に行きなおして
神職の資格を取った。

教誨師になった理由は単になり手が居なかった。
人の死を促す役目なんて「良識あるとされる神職僧侶」はやりたがらない。
だからこういう人達は死刑廃止論者に傾いたり使われたりする。

H氏は「死刑廃止などもっての外だ。罪を罰で贖わせるのを可哀想の感情だけで否定なぞ、被害者への人権蹂躙にしかならん」が持論。
同業者からは異端者呼ばわりされているが取り立てて不利益はないようだ。

なら今後は「生きてる今こそ地獄だから、執行された時が生まれ変わる好機ですよ」
転生した先で徳を積み直せばいい事あるかもしれないな確かに。
死んだ事ないから知らんけど。

大手の新聞記者とは何度もバチバチやりあった。
カルトの子供達を救い出し、共産主義に利用されようのないところに保護してきている。
その子供達は皆彼を、塾長先生と慕っている。

霊園の山は彼の何代か前に、とある土建屋の借金の担保に取ったもの。
恩を仇でしか返さなかったあの一族は末代まで赦さんとH氏は語る。
その土建屋の馬鹿息子は一時期彼にとって最も不適切な職、大臣を経験してしまった。
幹部自衛官出身の知事に自衛官の何たるかを上から目線で偉そうに説いたあのゴロツキだ。
H氏は彼が死んだ夜、ステーキを2ポンド焼いて食べたという。
さぞかし美味だったと言ってた。

色々な顔を持つH氏だが、オモテはろくでなしで裏の顔はお人好し。
ろくでなしの面で守りたいものを守り
お人好しの面で繋ぎたい縁を離さない。
徳の高い男だなとつくづく思う。

彼は結婚しなかったが、懐いてきた保護女児を養子縁組した。
彼女は東京のキリスト教系の大学に通っている。
養父の後継者になって、養父の生き方をなぞるつもりだ。
彼女にいい彼氏ができます様に。

人の縁は見えないけど、きっとまた見える時も来る。
人生双六の賽の目の気まぐれもまた良きものだ。

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