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名古屋城調査研究センター公開講座 石垣から語る名古屋城 午後の部

どこから石を運んでいたのだろう?どうやったら、あんなにキレイに積むことができるのだろう?石垣のしくみ、歴史について学び、刻印探しを楽しみました。

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名古屋城調査研究センターは、名古屋城の歴史を明らかにするために各分野の多くの学芸員が終結。この講座にも、文献史学の木村さんのほか、美術史学、考古学の専門家のお二人も参加されていました。貴重な講座です。

まずは、木村さんの講義から。名古屋城の石垣について伺いました。

名古屋城の石垣普請(石垣工事)は、徳川家康の命令の下、20名の大名により行われました。

名古屋城の地面を掘っても岩盤はないそうです。直線で50㎞ぐらいのところから運ばれ、愛知県では、小牧や篠島。遠くは、瀬戸内、紀伊半島 船便で九州からという説もあるようです。硬い石材を集めるのは、重要なことだったと思いました。
次は、石を割る方法。鉄のくさびを均等に入れると大きな石も割ることできるとのこと。
石垣の構造では、大きな石だけを積んでいると思ったのですが、内側には栗石(ぐりいし)といわれる小さな石、その内側に土があり、複雑な構造。水分を含んだ時に膨らむことを防ぐためだそうです。

写真を交えながらの解説に、石垣のことを理解することができました。

次は、城内をめぐり実際の石垣を見ながらの講義です。

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400年前の築城から何度か積みなおしをしているため、積み方の違いを確認しました。北西と南西では、石が違う。宝暦の大修理。残っている図面を確認すると、瓦を払って、木のみにして軽くしてから、天主が傾かないようにして石垣を外したそうです。

現在の石垣の調査では、電波を使って一石一石を確認中。空洞がないか等を調査。「石垣カルテ」と呼ばれて、はらみ、メタボを念入りにチェック。

石垣の表面には、石を割る際に刻まれた矢穴や、石を運んだ藩主や家臣の姓名を併記したり家紋、だんご、上、卍などの刻印を見ることができます。
1945年戦災で天守閣が燃えてしまった際に、石の表面が剥離、刻印が消えてしまったものもあるとのこと。近くで見てわからないものも、触ったらわかる。触れる場所にある石垣にも多くの刻印があり、触ることもできました。


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見学途中、徳川家康公にもお会いすることができました。
木村さんから「あのお方のほうが、石垣のこと詳しいと思う」とのご紹介。

名古屋城内に像がある加藤清正『清正石』 最大の石、 矢穴ほぼ同じの2つの石が意識して並べてある「無双の石」、石垣一つ一つ見て楽しめそうです。

石垣を外して18年 お濠に並べられている石を見るのもすごい光景です。
本丸の東に位置する「本丸搦手馬出」(からめてうまだし)の石垣のあった場所、冬は水を落として10年かけて外し、これから積みなおし工事が始まるとのこと。

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「50年後100年後を考えて 文化財保護を子供たちに伝えて、お城を守っていきたい。」
木村さんの力強いお言葉で講座は、終了しました。

木村さんのわかりやすくて楽しい講義で、石垣の魅力にはまりました。
名古屋城見学時には、石垣の刻印や矢穴探しも楽しんでみてください!

<レポート:わかお、カメラ:かとじゅん☆>

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2020/10/24(土)〜2020/11/15(日)
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