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尾張四観音最古の寺院 甚目寺の昔と今

10/30、今回はちょっと名古屋を飛び出して、あま市甚目寺町近辺のまち歩きでした。11月も近いというのに汗ばむような陽気の中、ガイドの美和歴史民俗資料館学芸員である近藤博さんと共に名鉄甚目寺駅を出発。

まずは駅から北方面に向かいます。少し行くと、道の両側に田んぼが広がるところに出ました。

ガイドの近藤さんによると、このあたりは、戦時中名古屋防衛のために作られた陸軍清洲飛行場だったとのこと。完成後1年もたたないうちに終戦となり、すぐに廃止されてまた元の農地に戻ったそうです。

次に向かったのは金山神社。たまたまお祭りの日だったので、神社は多くの人で賑わっていました。実は、このあたりは戦前刷毛産業が盛んだったそうで、境内に刷毛産業の歴史ポスターも掲示されていました。今でも高級料亭やお寿司屋さんで使われている刷毛は甚目寺で作られているものが多いそうです。

その後、藤堂街道を通って、今回のメインである甚目寺に到着。「甚目寺」というのは、地名としての認識度が大きいかもしれませんが、創建が今から約1500年前の西暦597年と、法隆寺や四天王寺に次ぐ由緒ある古刹です。本堂は平成4年に再建されたものですが、南大門、東門、三重塔は鎌倉時代から江戸時代にかけてのもので、国の重要文化財に指定されています。

本堂に上がると立派な内陣がありますが、ご本尊の聖観音を胎内に宿す十一面観音像は50年に一度開帳の秘仏ということで、普段はお目にかかれません。境内を巡った後、最後は地獄の閻魔様たちが祀られている十王堂で解散となりました。

甚目寺という名前や地名は知っていても、実際に行ってみると知らないことばかりで、「甚目寺の昔と今」というタイトルにふさわしく、天平時代から鎌倉、戦国、大正、戦時中といろいろな時代に触れることができたまち歩きでした。

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レポート・写真:しゃくや

■レポートしたプログラム

■まち歩きなごや

■やっとかめ文化祭

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