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塩付街道でお地蔵さん巡り

鳴海や星崎でつくられた塩を駄馬によって運んだ道『塩付街道』
街道筋には、道中の安全を祈って、馬頭観音とお地蔵様。

塩を運ぶための道「塩付街道」の道中の安全を守る馬頭観音とお地蔵様は
至る所にあり、地元の方によって、大切に守られていました。

最初の馬頭観音は、享栄高校の前に祀られていました。
馬頭観音は三面八臂(さんめんろっぴ)、顔が3つ、腕が8本。頭の正面には、馬の顔があります。初めて見ましたが、片膝を立てて忿怒(ふんど)の顔で、道を見守っています。

次に、川澄地蔵。尾張藩士の川澄平吉が先祖の供養のために安置したのが、はじまり。
敷地造成によって移転、再建、改築を繰り返したそうです。文化財ではないため、管理する方がいないそうです。本日のガイド荻須さんが御守をされているとのことでした。
こちらには、馬頭観音、地蔵観音、地蔵大菩薩の3体が安置されていました。

みやみち地蔵は、もともと道標の辻地蔵。昭和41年にお堂が建てられ安置されました。
石像の背面には、『右みやみち、左なるみみち』と書かれていたそうです。
堂内にはもう一体、堂外には、馬頭観音。

川澄地蔵同様、造成等で困った方が地蔵様や、観音様を置いていくとのこと。勝手においていくので、増えてしまうということに驚きました。

藤成神明社にある観音堂には石地蔵と三十三観音他4体の仏像が安置され、弘法堂には、弘法大使と役行者神変(えんのぎょうじゃしんぺん)大菩薩が、祀られています。

白山社は、前方後円墳の後円に建てられていました。社務所では、市の文化財である奈良時代の『鬼瓦』を特別に見せていただきました。本物はかけているが、博物館にあるレプリカはかけていないそうです。

善昌寺には、三十三観音、千手観音、円空作の薬師如来像が安置。目の病気に効くお地蔵さん目当てにお参りにいらっしゃる方も多いとのこと。

石仏町の地蔵は、マンションの施主の名から、玉置地蔵と呼ばれているようです。

今はもうなくなっている、のうらい地蔵跡。石仏街道(名古屋城への道)分岐点として、「左なごや道、右のうらい・かちがわ道」と記されていたようです。

スーパーSEIYUには、古墳があったことを知り驚きました。

10Kmほど塩付街道を歩いて、住宅や学校、スーパーなどが建ち並ぶ中でも、移設をしながら、お地蔵様や馬頭観音を残すまちの人の活動を知ることができました。
これからも、馬頭観音とお地蔵様が安全を見守る塩付街道であり続けることを願いました。

レポート:わかお

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2020/10/24(土)〜2020/11/15(日)
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