【二次創作】個人的に最近思ったこと2つ【2023年3月16日】

①過激な創作内容の本に出合った時


「オタクじゃない人ならどう思うか」という視点に立つ
愚痴りたいならオタクじゃない人に聞いてもらう


過激な内容と噂される本を、同ジャンルの人たちがSNS上で回し読みをし悪口を言い合ってるのではないか、という学級会を目にした。

ひとりのサークルを複数人で悪く言う、これはいじめじゃない?
そもそもキャラクターに愛を感じない創作なのでは?
じゃあ愛がないと創作はしてはいけないのか?
本を買ってない人にまで画像を送る回し読みっていいの?

等々、議論している様子だった。

実際回し読みがあったのか、いじめのような行為があったのか、該当ジャンルの存在すら知らなかった私YAYAには判断することは勿論できない。

だが、昔からそういう種類の揉め事は何度も見聞きしたことがある。

どんなジャンルであっても、絵や文章が上手い「もともと注目されてたサークル」が過激な内容の同人誌を出した場合、学級会になることが多い。

そしてさらにサークル主の外見がそこそこまともだったり、リア充に近しいツイートを普段からするような人だったりすると、そこに更なる油を注ぐ傾向がある。
この傾向は悲しいかな気のせいではないはずだ。

私YAYAは副業前提で二次創作をしているので、大衆うけしない過激な内容の同人誌をそもそも発行する気は無い。

だがサークル活動をしている人の中には「どうしてもこれが書きたい/描きたい」という、創作において一番大事な「表現したい情熱」を抱き発行する人だってたくさんいると感じる。
逆に、時間がなくやっつけ仕事で内容が微妙な同人誌を出してしまうことも時にはあるだろう。

いかなる場合であっても、創作活動は自由であるべきだ。
相手の筆を折らせようと良からぬ悪策をするのは愚行であると考える。
相手がどんな相手だったとしてもだ。

だが「大衆うけしない過激な内容の本」「自分の気に食わない本」を買ってしまった時、誰かに愚痴を言いたい気分になるのもまた解る。

大好きなキャラクターが酷い描写で描かれた本を読んでしまった日など、ご飯の味が不味く感じ、夜布団に入ってからもイライラが止まらない等、腐女子/夢女子ならば皆1度は経験あるのではないだろうか。

そういったどうにも止まらないイライラを抱えてしまった時は、いったん「オタクじゃない人ならどう思うか」という視点に立つことにしている。

自分の感じているイライラを、もし自分がオタクじゃなかったら…と考えてみるのだ。

「創作物である文章/絵を見てイライラ止まらないとか、実在しないキャラクターのことで一喜一憂するってどうなんだ?自分の現実見なよ笑」

と、冷たい表現になってしまうがそう考えるだろう。

個人的になのだが、同人誌を読んでイライラしてしまった時にかなり効く方法だ。
なぜかいっきに冷静になれる自分がいる。
この作法がオタクとして正しいのかどうかは別にしてだ。

それでもイライラが収まらず、誰かに愚痴を聞いてもらいたいという時は「オタクじゃない人に聞いてもらう」ことにしている。

家族や会社の同僚、オタク外の友人など、同人誌から遠い場所で生活している人であるならば誰でもいい。

そういうオタク外の人間に話す時というのは「〇〇ちゃんがこんな扱いうけてて!酷いと思わない?」とは語らないだろう。

おそらく「嫌な内容の本読んじゃってさ、なんか昨日から気分が悪いままなんだよね…」と萌え等の内容を削ぎ落した自分自身の体調説明がメインになると思う。

これが冷静さを取り戻すきっかけになる。

オタク同士ならば愚痴に共感もしてもらいやすいことは理解している。

キャラの名前を具体的に出し、この子はこうだよね、こんな表現て酷いよね等と細かく感情のラリーを行えるだろう。

共感してもらえるのは正直気持ちがいいし、絆も深まる錯覚すら覚えるだろう。
被害者の会メンバーになった感覚まで芽生えてしまうかもしれない。

けれど、自分と同じ腐女子/夢女子の同士に愚痴を吐露するのは「あまりにも危険すぎる」のだ。

同ジャンルの人相手ではなかったとしても「あの人他人の本を昔めちゃくちゃ愚痴ってたよ」と吹聴される可能性はかなりある。

愚痴と他人の悪口は紙一重。
いや、聞く立場が違えば愚痴は悪口なのだ。

腐女子/夢女子内での愚痴共有程リスキーなものはない。自分自身の株を下げる。

件の学級会は、共感で得られる快感を抑えられず同士内で愚痴情報の共有をしてしまい、その共有言動の善悪が問われたものだったと感じる。

共感は快楽を得られる。
これは人間だれしもそうだと思う。

だがその共感の快楽に負けてしまうのは、例えはドラッグを止められないジャンキーの人達と同じだ、と考えている。

共感ドラッグを過度に欲しないよう、一度オタクじゃない視点に立ち、それでも欲が抑えられないならばオタク外の人に喋ることでガス抜きをするのがベストではないだろうか。私YAYA個人はそう考えている。



②男性向け同人との違いを再度認識


多様化する男性向けジャンルと変化待ちの女性向けジャンル

知り合いで男性向け同人に近しい立場の人がいる。
ごくたまに雑談をする関係なのだが、ここ数年で男性向け同人は大きな変化があったらしい。

噂では聞いていたが二次創作よりもオリジナルの方が売れるようになり、二次創作は本当の意味で「趣味で」創作をする人がほとんどだという。
理由は、比較にならないほどの売上の差があるかららしい。

女性向け二次創作同人で活動している身としては俄には信じられないが、そんな私YAYAでも数年前から「男性向けはもうオリジナルが主流」ということは耳にしていた。

そして同人誌を売る買うのではなく、サブスク課金でネット上で作品を提供し、そこでファンを付けていくスタイルが主流になりつつあるという。
女性向け二次創作では禁じ手扱いのFANBOXの類だ。オリジナルならば確かに可能だろう。

そればかりか、サークルの中にはVtuberを誕生させてみたり、ゲーム制作をしそれをDLで売ったり、音声同人作品を作ったり、「作品=本」という概念があまりなくなっているとのこと。

じゃあもう同人誌は絶滅寸前なのか、というとそれはまた違うようで、ファンの人達との対面交流の場として同人誌即売会イベントは機能しているらしい。

そして即売会終了後は会場内でゲームやビンゴ大会等も開かれているという。
まるで古き良き時代の個人主催オンリーイベントのようだな、と想像した。

ある部分では多様化/進化をしていき、それと同時に昔ながらの同人文化は残り続けている。

話は少し逸れてしまうが、以前Twitter上で「女性向けの同人誌即売会は昼過ぎにはみんな帰ってしまう」という問題提起がされた。

発端はとある男性のツイートだったと記憶している。

現実、女性向けのイベントでは正午前後に買い物が終了してしまうことが多い。

そうすると買い物だけに来ていた参加者は会場を去る。
サークル参加者も買い物がすでに完了してる場合が多く、サークルスペースから出なくなる。

結果、通路ががらんとしてしまう。
通路に誰も人がおらずサークルスペース内にのみ人が残ると、より一層通路に出てどこかに行く気分は無くなってしまう。

「サークル参加だけどもう人も居ないし帰ろうか」となるのはこんな時だ。
それが良い悪いではなく「しょうがない」と思う。

要は女性向け同人誌即売会はすでに交流することがメインの場ではなくなってしまったのだ。

イベント会場は買い物の場所であり、交流は場所を変えどこか飲食のできる店に移動して、そこでゆっくり気の合う人とだけ…ということだろう。

この流れがこの先ずっと続くのかどうか、興味深く観察したいと思っている。

理由は、今後女性向けジャンルで「二次創作電子販売可能」と公式側が大々的に言い出すジャンルが出てくる可能性があるからだ。

そのジャンルが巨大であれば巨大であるほど、同人誌市場に与える影響力は大きくなるだろうし、買い物の場所としての即売会は大打撃となる。

今までも公式側が二次創作を電子で販売しても大丈夫ですよと暗に言っていたジャンルが存在したが(某ゲームジャンル)、昔からの「二次創作同人誌は紙じゃないといけない」「印刷代金がかからない二次創作は営利100%だから注意喚起をしよう」という圧によって電子販売が主流になることはなかった。

これは私YAYAの完全に妄想で邪推になるのだが、イベント会社や印刷所組合からも「電子OKとは言ってくれるな」という打診が公式側にあったかもしれない。経営に大打撃をくらうからだ。

けれども今後、電子販売元の会社と繋がりのあるジャンルが出てきて「電子販売OKです!」と声高に言ったとしたら、この流れがいっきに変わるのではないだろうか。

公式がOKを出せば、さすがにそれを叩く人間は激減すると想像する。

男性向けのように、販売のメインは電子、交流のメインは即売会、という構図にいつかなるのではないかと想像している。

頻繁に状況が変化する男性向け同人。
劇的な変化は好まれない女性向け同人。
このイメージがずっとこれまで続いてきた。

だが、そこに一石を投じるジャンルが今後出てきた場合、女性向け同人の世界にも変革が起きるのではないだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?