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雑記 519 喪中葉書

今年は喪中の葉書がたくさん届く。
自分がそう言う年齢に差し掛かってきたのか、とも思うが、
新年に年賀状をもらって、いつか連絡をしようと思って、そのままになり、でも、折に触れて思い出していたその人のご家族からの連絡。

ああ、そうだったのね。
そうなんだわ。
そうと知っていれば、手紙を出せばよかった。
後悔先に立たず。残念、とはこのこと。

それほど深い付き合いでもなかったのに、心に残るお人柄で、だから、毎年年賀状だけは欠かさず出して、いつかお目にかかりましょう、と書き添え、
いつか会えたら、と思っていた。
間に合わなかった。
思っても何年もそのままにしたのだから、仕方のないことだけれど、こんな風に人と人は出会い、別れるのだろう。自分の何でも先送りする怠惰な生き方が悔やまれる。

新幹線の発車のベルが鳴り始め、私は階段を駆け上り、ドアがプシューっと音を立てて閉まる3秒ほど前に、7号車に飛び込んだ。

その当時は、新幹線の回数券というものがあった。本当なら、指定を取って乗るのだが、

父が倒れた

という連絡をもらって、兎に角直ぐに、と家を飛び出し、走りに走って、東京駅の構内も走り、改札も走り抜け、一番早い列車を案内板で見て、階段を登ろうとしたところで、発車のベルが鳴り出した。
階段を息を切らして一段跳びに駆け上り、足の動きが階段の最後の方では辛くて鈍くなる。
でも、この列車を逃すわけにはいかない。
けたたましい発車ベルの音とアナウンスを聞きながら、新幹線に転がり込むように飛び乗ったのだった。

ハアハア言いながら、とりあえず空いている席に座った。車掌が来たら、指定席の手続きをしてもらおう、と思っていた。

3人がけのシートの端にいた御婦人から、
「ここは指定席の車両ですよ。自由席は先頭の方にあるから、そちらにお行きになったらどうですか」
と注意を受けた。駆け込み乗車をして、無遠慮にシートに座ったのを少し咎めるような口調だった。

「申し訳ありません。指定を取る時間がなくて……」と答えた。
回数券は指定席回数券だったので、席が空いていれば問題はなかったのだ。

訳を話すと、大変に同情してくださり、その方は京都まで行くのであったが、私が降りる名古屋までいろいろな話をして、お別れした。
妹さんが癌で、治療のため温泉で療養しておられるとも聞いた。

その後、父の心筋梗塞は治療が間に合い、事なきを得たことをお知らせして、お付き合いが始まった。
お目にかかるのは1、2年に一度くらいであったが、私が展覧会をした時にも来てくださり、ひとり叔母が増えたような感じだった。

育った家は大津に広大な土地を持っていて、京都から大津までは他人の土地を通らず行けた、という話も聞いた。
農地改革で土地は取られてしまった、と言いつつも、三井寺の下あたりの家には、脇に100台もの車の停められる駐車場があるのだった。

水泳が好きで、泳がすにはいられない、水着はもう100着ほど持っている、と言う話や、
東京や大津でお茶の先生をしておられる、こと、など。
妹さんが亡くなり、
私が時々出す手紙が、妹が寄こした手紙に似ていて、とても懐かしい、などと言ってくださるのだった。

そのうち、私も京都に拠り所が出来、いつでも会いに行ける、と思ったのが、油断で、年賀状だけのお付き合いになってしまった。

ご冥福をお祈りします。
どうぞ安らかにお眠りください。
あの世に私が参りました時には、またお話ししたいと思います。

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