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旅記 2 Wien初日 2017.4.23

ザルツブルク駅から再びQBBに乗り、ウイーン着。‪午後3時。‬
風が冷たい。

ホテルに荷物を置いて、ハプスブルク家の墓を見に行く。フランツヨーゼフ、マリアテレジア、エリザベート、その他。古くは1600年代、新しいものでは2010年、装飾を凝らした棺桶が地下墓地に延々と並ぶ。ハプスブルク家の人といえども、誰も死から逃れることは出来ない。


夜8時半から聖アンナ教会でのコンサートがあるが、まだ時間はたっぷりある。
次はどうしようかと思い、シュテファン教会でのミサを覗き見る。‬


そうやって時間潰しをしても、夜のコンサートまでにはまだ時間があるので、国立歌劇場に行く。
横手の広場に大きなスクリーンが設置されていて、誰でも、オペラがLiveで見られるようになっていた。


椅子が並んでいて、さらに石造りのベンチもあり、子供連れの若いカップルや、老人が、画面を見つめていた。
国立歌劇場の玄関には着飾った人々が続々と吸い込まれていく。
今日の演目はヴェルディの『仮面舞踏会』。
オーケストラピットの中も指揮者の様子もアップになるので、歌劇場の中でオペラグラスで見るより細部が分かっていい。

国立歌劇場のオペラの開演は‪7時。‬
あちこちの教会の鐘が‪7時を告げ、ぴったりに幕が開いた。‬
だが、寒い。どうしようもなく寒くて指の先に感覚がなくなってきた。
時間的に歌劇を最後まで見ることは無理なのでギリギリまで粘り、聖アンナ教会のコンサートへ。


 こばんはー、さむいですかぁーー?
 
私を日本人と見て、モギリの青年が、声をかけてくれた。
 
こばんはー、さむいですーー
 
と返し、中に。教会の中は程よく暖房がきいていたが、骨の髄まで冷えてしまった体は、容易に緩まない。
ずっと肩をいからせたまま、コンサートを聴いた。
モーツァルト、シューベルト、ハイドン。古楽器による心に沁みる演奏だった。

ガンバ奏者の金髪のキッチリと結ったひっつめ髪が、楽章が進むごとに、ゆらゆらと解け、ハラリと額にかかってくる。
若い男の鬢のほつれは、ことさら色っぽい。
プレストになると、さらに結った髪はゆるく解け、私の目は、楽器をしっかり両脚で抱きかかえてガンバを弾く若者の指の動きと、音楽に入り込んで動く悩ましい眉に釘付けになった。
 
少しばかりの暖房では、私の身体は溶けなかった。寒くて肩が痛くなった。
演奏会が終わり、また寒さの厳しい外に出、シュテファンプラッツ駅から地下鉄に乗り、ウイーン西駅まで。そこからホテルまで歩いた。
時計は‪10時を回っていた。‬

ウイーン西駅は2年ほど前、ローカル駅に格下げになった、と言う。
今日は、視察団の他のメンバーがフランクフルトを経由して、ホテルに着いているはずだった。
 
西駅からホテルまでは、徒歩5分ほど。
フレミングという名のホテルだった。
暗くなった歩道を、襟に顔を埋め歩いて行くと、歩道に沿った家の戸口から赤い光が漏れていた。
扉は開け放たれ、部屋の中は薄ぼんやりした赤い照明がつき、下着姿の女性が足を組んで座っていた。
 
マネキン?
 
手足の白さ、身につけている衣類の少なさで、生身の人間とは思えなかった。

寒くないのか?

私などありったけ着て、フードを被っても、まだ歯の根が合わないでいる、というのに。

 
ホテルに着いてみると、
今日到着した一行のひとりが、歯ブラシを忘れて、駅の売店まで買いに行こうと出たところ、
 
You are welcome!
 
ユーアーーウェルカーーーム、と美しい女性に、鼻にかかった声で囁かれ、不意に肩を掴まれた、と挨拶もそこそこに言った。
迷惑そうな顔をしながら、そんな目に遭って嬉しかったのは見え見えだった。
旅行社からは、ホテルの駅寄りには決して行ってはいけない、と言われていた、という。
私は知らなかったが、ウイーンは、州によるが、ここホテル•フレミングのある場所では、売春が認められているのだ。

 
寒い! 寒すぎる。

もう、じき5月だというのに、こんな真冬みたいな夜。
私は温かいシャワーを全開にして浴びながら、先ほどの肉付きのよい白い肌を思い出していた。
そうしながらも教会コンサートの演奏の波動にまだ心が満たされて、音楽もマネキンも夢の中の出来事のようだった。
 
 

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