「生まれてきた意味」「自分の価値」

誰しも「自分の生まれてきた意味とはなんなのだろう」「自分の価値とはどこにあるのだろう」と考えたことが一度はあるでしょう。私もあります。うつ病がひどかった頃には特に思い悩みましたし、その頃は誰かの役に立ちたくて必死でした。「誰かの役に立つ存在だったら生きている価値があるのではないか」と思ったのです。それはすなわち「役に立たないなら価値がないので死ぬべき」という思想の裏返しです。

ではうつ病が治って数年経ち、ポジティブ思考が板についてきた最近の私がそれらについて考えるとどうなるのかと言いますと、
・自分が生まれてきた意味:偶然生まれた(意味はない)
・自分の価値:特にない
です。
それで本当にポジティブ思考なのかと言われそうですが、重要なのはここからです。最近の私は「生まれてきた意味も、生きている価値も、特に無くても生きていていいと思っている」のです。
強いて言うなら「この世に生まれ落ちた時点で生きる権利がある」でしょうか。意味も価値もなくても、権利があるので生きてていいのです。

そもそも、「自分の価値」は自分にはわからないものです。自分にとっての自分とは「最も普通な存在」であって、特別ではありますが、価値があるかといわれると、ないような気がします。しかし「価値の判断基準」ではあるでしょう。「自分より優れた人はすごいヤツ」「自分より劣った人はすごくないヤツ」というような物差しの一種が自分であるわけで、そういう意味では価値があると言えるのかもしれませんが、基本的に自分にとっての自分の価値はそんなに見出だせないのが普通だと思います。

そして「自己肯定感」とは「自分には素晴らしい点がある!」と認める心というよりは、「自分にはダメなところがある。でも、それでオッケーだ! 自分らしさのひとつなのだ!」とよくてもダメでも肯定的に見られる心のことなのではないかと思っています。

このような考え方を身に着けてから、深く思い悩むことがあまりなくなり「ま、いいか!」で済ませられるようになりました。気楽です。ですが今までの人生の9割方の期間、自分がそんなふうに生きられる日々が来るとは夢にも思っていませんでした。さっさと消滅したいと思っていた時期がとても長かった人生ですが、このような自分の変化を体感して、「生きてみるもんだなあ」と不思議だけれど温かい気持ちになりました。

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