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孤独を選ぶ

孤独を選択し続けている気がする。

こんな言い方すると勘違いされるかもしれないけど、要は寂しさを埋めるために好きでもない誰かと一緒にいるなら1人の方がマシって話。

1人でいる時間は本当に好き。だけど気楽さの中に寂しさが混じる時もある。特に何かが欠けた直後。

気持ちを紛らわすために色んなことをする。マライアキャリーのI still believeをシャワーを浴びながら大声で歌って、夜中まで友達としゃべり倒す。自分に起きたことを話すたびにどんどん悲しみは薄まるような気がする。

それは実際に薄くなって消えかけ、食欲が戻った頃にやっと持ち帰ってきた荷物を紙袋から出して整理できる。

おかえり、私のパジャマと下着とメイクポーチ。

iPhone6sからXRに引き継いだ思い出はそのまま。これから撮る色んな写真に埋もれて見返さなくなるはず。

新しいエピソードの始まりだと思っていつも通り仕事して、遊ぶ。

時々ギャンブラーになり突拍子もない行動をとる私にきっと人生は退屈をくれないと思う。

完全に悲しみが消えると、そこに残るのは空洞。

なんだかんだ、私は空洞を埋めようと日常生活の中に思い出のカケラみたいなものを探している。

もらったアクセサリーの路面店や行けなかったレストラン、一緒に聴いた曲とか、小さな約束をいちいち思い出してみる。

でもきっと、その空洞は同じものでしか埋められない。

愛を失ったのなら、愛で補う?

愛といっても人から必要とされるのが愛なのか、捧げるのが愛なのか。

自分を好きでいてくれて必要としてくれる人に身を任せる。

そんな楽なこと、他にない。

「好き」って言ってくれる人に黙って身を任せて、寂しさを紛らわせばいい。その人の愛情が自分に注がれなくなったら、また別の私に愛情を向けてくれる人のところに行く。

継ぎ接ぎの愛情で体を守って生きる。
愛情がなくなったらまたどこかから調達する。
一晩だけ、誰かに体を委ねるのだってアリ。

否定するつもりはないけれど、私にはやっぱりこのやり方は向いていない。

別に誰かと寝たからって何かが減るもんじゃない。

だけどタクシーに乗って帰る時や家について空腹を満たそうとする時「何やってんだろ」と呆れる。それと同時に虚しくなって自分のことが好きじゃなくなる。

虚しくなるということは、きっと何かが減っている。

これを繰り返すことで私はきっとどんどん減っていって、最終的にはなくなる。

私は自分が自分でなくなることが何よりも嫌なのだ。

だったら、正々堂々傷ついて打ちひしがれたい。

優しい嘘で守られるよりもキツい現実にブチ当たって、一人でいることを選択したい。

リビドーを手土産に私の人生に入ろうとしないでほしい。

人生の登場人物は、私が決める。

気に入らなかったら出て行ってもらう。

多分これはきっと、へなちょこな私の自尊心。


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Yayoi

半分妄想。半分日記。

ミッドナイト・イン・トウキョウ

人生なんて、簡単に変わる。
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