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マクロコスモス

「ねえ、気になる建物あるんだけど」

トングで次々とお肉を網の上に乗せながら言った。

外苑西通りにずっと気になっている建物がある。
気になるからと言ってどんなお店が入っているのか覗いたり、実際に入ってみたことはない。

ただ私はいつも反対側の道路からガラス越しに見ている。遠くからだと細かいディテールは分からない。しかも視力は0.7で裸眼生活となると余計に。

おそらく一階部分はアイボリーの菱形の石の外壁。二階から上は薄い柿色のレンガと河原からそのまま持ってきて埋め込んだような不揃いな石たちが埋め込まれている。

不揃いな石たちの色はカラーチャートを見てもいまいちピンとくる色がない。強いて言うなら亜麻色、利休鼠、豆がら茶なんて言われる色やアッシュブロントやサンドグレイなんかも近い。

正面の外壁にはスターバックスのロゴと同じ色をした2つの短い階段と6本の柱と時計。
時計、とは言っているけれどもしかしたら時計じゃないかもしれない。なぜなら長針と短針が全く動いてないから。そもそも私が見ているのが長針と短針なのかも怪しい。

6本の各柱の上には人が乗ってる。細くて男か女か分からない銅像が横を向いていたり後ろに反っていたり、金色の車輪みたいなものに乗っていたり金色の剣を持っている。

私には金色の車輪が星に、金色の剣が三日月に、時計が太陽に見えるから勝手に「マクロコスモス」と名付けた。

彼は「そこは西麻布交差点から近い?」とか「六本木はどっち方面?」とか聞いてきたけど方向音痴かつ空間認識能力が低い私はうまく答えられない。

「とにかくレンガっぽくて時計みたいな太陽みたいなのが外壁にあって緑の柱が何本かあるの、エネオスの斜め前」

好みの焼き加減になるようにずっとトングでお肉をつついていたため早口になった。

私は自分が納得いく焼き加減でないと絶対に食べたくない。中がピンク色で半ナマの状態が一番好き。ブルーレア以上ミディアムレア未満。

「ああ、J trip barね。ワナダンスがあったところだ。最上階はデート向きのバーがある」

ワナダンスで死ぬほど踊った夜。ジントニックと汗の匂いと混じるカルバンクラインのエタニティ。そういうものが彼の記憶に何層にもなって蓄積されているのだ。

団体客の笑い声に私たちの会話は掻き消される。

「ワナダンスねえ。またワナダンス」

彼は聞こえたのか聞こえなかったのか分からない曖昧な返事をしていた。

好みの焼き加減になったお肉をトングで掴み自分のお皿へ入れる。トングで掴む時に、柔らかくて芯のないダラリとした状態がベストだ。

「私ね、ディスコ昔話を聞くのって割と好きなの。むかしむかしのクラブでの思い出話」

合コンなのか会社の集まりなのか店内は水曜日なのに店内は賑やかで、声が通らない私は身を乗り出していつもより大きい声でゆっくり話すが彼は時々聞き返してくる。

思い出自体が魅力的なのか話し方が上手なのか、それとも昔のことだから美しく感じるだけなのか分からないが、私は時折人の過去に嫉妬する。

私からしてみればその日常は非日常である。何十年経っても忘れない「その瞬間」に自分が存在していなかったことにひどく落胆する。

私は絶対に逃したくない。今後記憶に残り続けるであろう瞬間を。でもいくらイベントや節目を共にしてもどれか記憶に残るかは分からない。全部かもしれないし、全く残らないかもしれない。

少しでも記憶の中に自分か入り込む確率を高くしたい。そのためには常に時間を共にするしかないのだ。

「ねえ、もしかしたら私は好きな人の体の一部になりたいのかもね」

個人の喪失は愛なのだろうか。

「え?」

また彼が聞き返した。左斜め前のテーブルからは、はい席替えと酔っ払って気分良くなった男の人の声が聞こえる。

「今のは聞こえなくていいよ」

ピンク色の黒毛和牛上カルビを網に乗せ、私はまだ中が赤いロースをタレにつけ一口で食べた。






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