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エシカルUX Meetup に参加した話

UX MILK のイベントで「Ethical UX Meetup」に登壇者として参加しました。

エシカルとは直訳すると「倫理的な」とか「道徳的な」という意味だそうです。他の方の発表によると最初は主にファッション業界で消費活動における素材とかゴミとか含めて環境や社会のことも考えた活動や思想が必要みたいな文脈から言われるようになったそうです。

近年は、英語圏を中心に倫理的活動を「エシカル(ethical)○○○○」と表現し、エシカル「倫理的=環境保全や社会貢献」という意味合いが強くなっている[1]。身近な倫理的活動としては、主にエシカルコンシューマリズムが挙げられる。

UXとエシカル

おそらくこの言葉の組み合わせはまだ一般的ではありません。

また、どちらもカバーできる範囲が広い単語なのでもっともらしく聞こえるもののなんら具体性をもって機能する保証のない抽象度の高い概念だと思います。

業界的にもまだこのテーマに対して、エシカルたるものたらしめるものがあるわけでもなく、かといって斜に構えることなく、この概念を掘り下げていこうという作業が必要なのだと思います。

UX自体も言葉だけがひとり歩きしてしまってる部分もありますが、誰にとって必要で、どういった場面で機能させるべきか、具体的な「問い」が十分に出揃ってないということではないでしょうか。

Webアクセシビリティとエシカル

自分とエシカルという概念とは全く接点がなく、主宰の三瓶さんからお題をもらってから半ば無理やりテーマを設定しました。

ちょうど今年に入ってからアクセシビリティについて考える機会が多く、このお題のことを考えたときに、アクセシビリティに思うこととエシカルに求められる要素に共通点があるような気がしました。

現時点でアクセシビリティもエシカルも普遍的に存在するべき視点や思想を支える前提のようなものだと考えています。だからハウツーや事例ではなく、前提を問い直すような感じの話にしてみました。

スライドを公開してあります。

自分は家族に障害者をもっていて、アクセシビリティについては若干他人事いなれない状況にあります。

ですが障害者をひいきにするとか特別扱いするわけではなく、あくまで普遍的に社会に存在するひとたちを尊重する延長線上に障害者も当然のように居る、そういうことが大事だと考えています。

エシカルも何らかの弱者をつくりあげ、その人たちに施しを与えるものではなく、共に良く生きる共存するためのエッセンスになってほしいと思います。

また11/12にも第2回があったので継続して議論したりいろんな人に考えるきっかけが増えるといいなと思いました。

「問い」をなげかけて「対話」する

当日の実況はTwitterのハッシュタグ等で追えると思います。

僕と違って歴史的な知識をちゃんと説明してくださるかたや専門的にちゃんと取り組んだりしているかたもいて、ひとくちにこうだったとは言いづらいのですが、LTを起点にお互いが考えながら次に進む感じが非常に刺激的でした。

「答えよりも問いが書いてある本が読みたい」

これは新しい哲学雑誌ニューQの編集長のセオさんが言っていたのですが、このイベントはハウツーなど1つもなく、問いと対話しかありません。だからこそハードルも高いのかもしれませんが、AdobeMAXとか見ていると再現性のあるものはどんどん機械に置き換えられそうないま、思考することをもっと大事にしたいと思います。

三瓶さん、いい無茶ぶりありがとうございました。

サポートいただけたら美味しいご飯の足しにしてまた絵を描きたいと思います。よろしくおねがいします。