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ウサギとカメの思考が、圧倒的クリエイティブを阻害する可能性について。

憧れの対象となる人間は、必ずと言っていいほど努力をしている。

いつかその人に追いつきたくて、僕たちは努力を積み重ねる。童話「ウサギとカメ」のカメのように。

しかし、いくら努力しても憧れの人との距離は縮まらない。もはや離れていく。

土曜日の夜中は絶望に暮れる。学習方法を変え、自分の才能の無さを恨み、いつの間にか目標としていた人物を特別な人間と崇めだす。

そしてあることに気がつく。

あれ?カメはひたむきに歩を進めれば、いつかウサギを追い抜けるんじゃなかったけ?と。

落ち着いて人生を振り返ってみると、ウサギを追い抜いたカメの少なさに鳥肌が立った。

僕たちが記憶もないほど昔に、脳内に刷り込まれていた「ウサギとカメ」。我々はその教訓の真偽を確かめるべく、ジャングルの奥地へと向かった。

🌴 … 🛶👫💨

むかしむかし、ウサギに歩みの鈍さをバカにされたカメは、山のふもとまでかけっこの勝負を挑んだ。かけっこを始めると予想通りウサギはどんどん先へ行き、とうとうカメが見えなくなってしまった。

ウサギは少しカメを待とうと余裕綽々で居眠りを始めた。その間にカメは着実に進み、ウサギが目を覚ましたとき見たものは、山のふもとのゴールで大喜びをするカメの姿であった。

童話「ウサギとカメ」から得られる教訓は、過信(自信過剰)して思い上がり油断をすると物事を逃してしまう。 また、能力が弱く、歩みが遅くとも、脇道にそれず、着実に真っ直ぐ進むことで、最終的に大きな成果を得ることができることである。(wikipediaより

そういえば、僕はずっとカメだった。なにかで一番になったこともないし、誇れることもない。もはやカメというのもおこがましい。怠惰なカメだ。

しかし去年、人生で初めてウサギになる経験をした。急激にジャンプアップする経験をした。

ジャングルの奥地で隊員がこんな事を言った。

「ウサギとカメ」のウサギって悪役という見方をされてますけど、ウサギの価値観ってクリエイターにとって持っておくべき正義じゃないですか?

隊長は言った。

もしかしたら、ここには何かいるかもしれないな。ちょっと調べてみるか、と…。

🐰vs🐢

あるところに、同学年の仲の良い2人の小説家がいた。

1人は才能があって派手でフォロワーも多いが、執筆継続にムラがある。作品は面白くても続編がなかなか出ない。まさにウサギだ。25歳としよう。

もう1人は才能がなく、地味でフォロワーも少ない。しかし、コツコツ努力を重ね、確実に技術は向上している。当然、執筆継続にムラはない。カメタイプだ。こっちも25歳。

先に注目されたのは、ウサギだった。

SNSにアップした小説の一端が話題を生み、瞬く間にフォロワーが増えた。インフルエンサーの目に留まり、ブログで話題の小説として紹介された。その結果、コラムなんかも任された。としよう。

一方カメは、プチウサギフィーバーが巻き起こっている中、地道に努力を重ねた。確実に腕前は上達した。

しかし、カメさんの小説がタイムラインで話題になることはなかった。

童話の教訓で言えば、数年後、カメさんの小説にも人気が出始めるはずだ。

しかし現代は、圧倒的ウサギ有利の世界へと傾いていた。

🐢

SNSはカメの努力を阻害する。

童話の世界では、カメはウサギの姿が見えないまま、ゴールを目指し続ける事ができる。相手の姿が見えないので、カメは自分の歩を進めることに集中できたはずだ。

しかし、インターネットが発達した現代ではどうだろう?

ウサギの活躍がバンバン目に入ってくる。自分の作品と比べたり、ウサギの真似をして、全然うまくいかなかったりする。

SNSを見なきゃいいだろうと思われる方もいるだろう。そうですね。としか言いようが無い。でも個人的に身近なコミュニティーが盛り上がっていることを無視できない。

ミレニアル世代のSNS利用率を見ていると、もはや生活に密接しているので、同い年の仲間の活躍は嫌でも目に入ってきてしまうだろう。

むかしむかし、自分自身と戦ってウサギを追い越したカメは、現代でもそれが出来るだろうか?カメのようにひたむきに努力することは、どんどん難易度が増しているのかもしれない。

ところで藤岡弘、は日清UFO公式Twitterにてこんな名言を残している。

ここまで読み進めて頂いた方に1つだけ問いたい。

あなたは黒帯ですか?

さて、さらなるジャングルの奥地へ向かおう。

🐰

現代では、ウサギほど休まない

童話の世界では、ゴール付近で油断して、ウサギは長期でお休みする事になっている。

しかし、現代のウサギさんは全然休まない。もはやカメよりも休まない。

以下のような書き込みが、才能の秀でたウサギを更に後押しする。

「小説の続き楽しみにしています!」「ウサギさんの小説は人生のバイブルです」
SNSに溢れるたくさんの声は、ウサギを奮い立たせ、背筋はビシッとさせる。いつの間にかウサギは自分だけのビジョンを掲げ、休まずに走り続けていく。

むかしむかし、誰も居なかったはずの沿道。

しかしいま、ウサギの横には、顔の見えないたくさんの観客で溢れている。ウサギをゴールへと後押しする。いや、ゴールよりもっと先。誰も見たこと無い景色って場所へと。

そうして、その気になったウサギは、油断することなく、自分だけのゴールへ向かっていく。

大人になってみると、油断するウサギをほとんど見かけない。ウサギほど、ひたむきに努力している。むしろカメのほうが休みがちだ。

そうなると、ウサギとカメの差はどんどんと広がっていく。

ところで藤岡弘、は生後3ヵ月の雌ライオンを抱きかかえた際、右首筋を襲撃され赤い傷ができたそうだ。その際、こんな事を語っている。

「本能的に急所を知ってるね〜。子ライオンと言えども侮っちゃいけないね〜。」と野生に敬意を表した。

さて、さらなるジャングルの奥地へ向かおう。

・・・

ウサギとカメの競争なんか
最初から存在していなかったのかもしれない。

ウサギとカメは、初期能力に大きな差がある。

しかし僕たちは、人間同士で競い合っている。だからウサギとカメのように初期能力に大きな差はない。

ウサギとカメは、不平等な種目で戦っている。

しかし僕たちは、数あるレースの中から、自分が得意で好きなレースを選んでいる。僕たちはカメのように、不向きなことに努力しているわけではない。

好きなレースを選択した時点で、僕たちはウサギではないか?いや、カメの着ぐるみを着たウサギという感じだろうか。そして、たくさんのウサギの中で僕たちはマラソン大会をしている。

2種類の努力

ずっとカメだった僕は、去年のGWにイチロー選手と一緒にTwitterのトレンドを独占した。

去年のGW、イチロー選手がマリナーズの特別アドバイザーに就任し、事実上の引退と報道された。同日リリースしたnoteがバズり、僕はイチロー選手と一緒にその日のトレンドを独占した。

ずっとカメだった僕は、ほんの一瞬だけウサギになった。

閃光のようにアイデアが降りてきて、それを具現化するために、100時間ほどを費やした。300回くらい修正した。持てるものを出し切り、オリジナリティーを尽くした。疾走するウサギのように。

その時、確かだったこと。それは、積み重ねたスキルが実を結んだわけではない、ということだ。そして、努力には2つの種類が存在するということを悟った。

積み重ねるカメの努力に加えて、跳躍するウサギの努力も存在するのでは?ということを。

僕たちはいつだって
圧倒的なにかを生む可能性を持っている。

僕は文章を書くようになって、まだ一年ちょっとだ。一応、編集の講座には通ったが、まだまだひよっこだ。ご覧の通り、凄まじく散らかった文章を書いている。

しかし、ものすごいクリエイティブは生まれてしまった。

きっと、圧倒的な何かは、必ずしも努力を積み重ねた先に生まれるパターンだけではない。(努力を積み重ねた先にも必ずあると思う。)

宇多田ヒカルだって、きゃりーぱみゅぱみゅだって、あいみょんだって、平手友梨奈だって、藤井聡太だって、若くして圧倒的な何かを生み出している。

きっと、一定の基礎力を身に付けた人間は、誰にだって圧倒的な何かを生む可能性を抱えている。

達人の域に達するまで、僕たちは圧倒的なにかを生み出せないわけではない。きっと圧倒的なにかは、いびつなトーナメントから生まれている。

ウサギとカメには書いてなかったけれど、カメはいつだってウサギになれる。一定の基礎力を備えた人間は、いつだってその権利を持っている。

コツコツと積み上げる努力に加えて、自分を信じて圧倒的ななにかを生むための努力から、圧倒的何かは生まれるのかもしれないと、隊員はジャングルの奥地で思い老けていた。

・・・

教訓とすべきは
ウサギとカメのハイブリッドではないか?

むかしむかし、ウサギの姿が見えないまま、カメはゴールを目指すことができた。自分の歩みに集中し、ウサギから勝利をもぎ取った。
しかし現代では、ライバルの動向は嫌でも目に入ってくる。

むかしむかし、ウサギとカメは不平等な競技を戦っていた。
しかし現代では、得意で好きな競技を選択して戦っている。

むかしむかし、ウサギを応援する者は誰も居なかった。
しかし現代では、顔の見えないたくさんの誰かがウサギの挑戦を応援する。

ジャングルの最奥地で隊員は、微妙な変化に気付いた。

好きなことを選んだ時点で、僕たちはカメじゃない。才能を秘めたウサギだ。

才能がないという着ぐるみを身にまとい、自らをカメだと誤認し、後方を進むウサギ。着ぐるみを脱ぎ捨て、先頭で走りつつけるウサギ。この2種類しかレース会場には存在しない。

そして、一定の基礎を身に付けた後方のウサギは、いつだって先頭集団に追いつく可能性を持っている。

下積みは間違いなく重要だ。だが、あるかもわからない自分の才能を信じ、跳躍しようとする努力も同じくらい重要ではないだろうか。

積み上げの努力と跳躍すると努力を異種と認識し、跳躍する努力にも力を入れてもいいのかもしれない。どっちも尊い努力だ。

コツコツ積み上げることが苦手なウサギは、一発狙う努力をしたっていい。狭き門の向こうには、きっと輝かしいゴールが待っているはずだ。

もし、おじさんになって、子供が社会人一年目を迎える時が来たら、「走り続ける圧倒的ウサギ」という絵本を作って、一緒にジャングルの奥地へ向かいたいと思う。

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うすい よしき

肩書:READYFORマネージャー/Voicyジャーナル編集長/25歳 エモい感じの文章を夜な夜なゆっくり綴っています。
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