ニンジャソウルとヒーローと修行

創作論、というメタ的な視点でニンジャスレイヤーを追ってみたいと思う。

まず注目するのはニンジャソウルというシステムである。

ニンジャスレイヤーにおけるニンジャとは半ばランダムに(例外があるにせよ)一般人が超人と化した存在である。

そもそも、ニンジャスレイヤーにおけるニンジャには修行によってなるリアルニンジャと、ニンジャソウルが憑依して誕生するディセンションニンジャという2種類が存在する。このうち片方ではなぜいけなかったのだろう。

良く、ニンジャ(日本的なヒーロー)と従来のアメコミヒーローとを比較した時に、ニンジャは修行によって成れるから運命的に突如誕生するアメコミヒーローと比較して先進的である、と言われる。果たしてそうだろうか。

"暗い回廊の上下左右に、蛍光グリッドがちらつく。「クソめ……」このまま科学技術が発達すれば、クランの上層部は不死身に近い存在となるだろう。脳情報の完全な複製とサイボーグ化が実現したら、どうなる?……クローン兵器技術実用化を知るハシバにとって、それは遠い未来の事とは思えない。
-「マグロ・サンダーボルト」" 

修行により超人になれる、というのは個人による暴力の独占であり、上下関係の固定化に繋がるものである。ましてやカラテを極めたリアルニンジャは不老不死に近く、寿命によって死ぬことは無いとされている。(これはコンテンツが無限に続くアメコミヒーローのカリカチュアでもあるだろうが)

そして、こういった上下関係が固定化されると社会は膠着し、階層ごとの分断が進み、新たな物語は生み出されなくなる。

"「ワンソーの死が関与していたのかもしれませんが、詳細は不明です。……いずれにせよ、平安時代が訪れ、ソガ・ニンジャたちが政権闘争に明け暮れるようになると、イクサは減り、ジツは生み出されなくなり……次第にニンジャの力も衰えていったのです。立ち枯れの時代が既に始まっていたのです」
-「ギルティ・オブ・ビーイング・ニンジャ」"


ここで、常人と超人の境を外し、一度リセットするシステムが考案されたのだろう。それがニンジャソウルディセンションである。その目的はなすすべなく殺されるモータルにシンパシーを抱いたのか、死して忘れ去られる超人たちを哀れに思ったのか、それは考案者であるドラゴン・ニンジャに聞いてみなければわからない。

そこでは一見、常人が突如超人に変化するように見えるが、実際に起こっているのは死者から生者への暴力の譲渡であり、圧縮して行われる修行、インストラクションである。その一端はエーリアスの一瞬で行われたスシ修行などにも見ることができるだろう。

つまるところ、ニンジャソウルとは本編の開始時点よりも過去から続く歴史や神話を匂わせると同時に、現在から始まる物語をリセットするための重要なギミックなのである。

スシッ!スシヲ、クダサイ!