物語の始点と終点はどこか〜擬似的な死と復活〜

物語というものは必ず始まりと終わりが無ければいけない。当たり前のことだが、名作の続編が出まくっている近年ではわりかし(個人的に)熱いテーマである。

そもそもなぜ物語に始まりと終わりが無いといけないかというと(当たり前だが)人間が物語に費やせる時間は有限である上に、複雑で長くなりすぎた物語は誰も理解できなくなるからだ。

人間の理解のため、複雑すぎる現実を単純化してわかりやすく切り出すのが物語の持つ機能なので、「理解できる一区切り」がすなわち物語の最小単位である。極論してしまうと単語であり、文字だ。(多分英語みたいな表音文字と漢字みたいな表意文字ではまた違う)

この最小の物語単位と大枠の物語がリズム良く積み重なっていると読者は気持ちが良いと感じるわけだ。この物語の(ニンジャスレイヤー における)層構造は以前こちらでまとめたので暇だったら読んで見てほしい。

じゃあ文字で書かれていればなんでも物語なのか、というと当然そうではない。物語の大枠とは何なのか、というとわかりやすいものは誕生と死である。
登場人物、特に主人公が生まれ、死ぬまでを物語の始点と終点にするならば反論するものは少ないだろう。
この誕生と死、という構造がありとあらゆる物語の中には含まれている。詳しくはジョセフ・キャンベルの『千の顔を持つ英雄』を読むといいだろう。
主人公がどんな人物か読者に紹介され、何かしらの困難を迎え、大団円を迎える、というわかりやすい物語の構造の中には、この擬似的な誕生と死が仄めかされているのだ。

そしてもう一つ物語には不可欠な要素がある。因果関係、原因と結果である。物語に配置された要素は作者が意図して配置しているのであり、無意味に登場人物が増えたり、脈絡がなく展開が飛んだり、理由なく登場人物が死んだりはしない。そしてここが物語が現実と異なる最大の点である。もちろん因果律は現実の物理法則でも成り立っているのだが、人間は世界全てを認識することはできないので、展開とは無関係に登場人物がPopしたり、重要人物が突然死したりというのは常に起こりうる。我々はよく軽率に「意味不明」とか「支離滅裂」などという言葉を使うが、それは大抵この因果律の連続性が(主観者の認識の中で)破れている、という意味なのである。

以上のことはわざわざ触れなくてもあらゆる物語が無意識のうちに守っていることなのだが、ニンジャスレイヤーはこれらの境界線を意識的に攻めている。最も顕著なものがニンジャソウル憑依であり、ニンジャになった人間は不連続に強大なカラテを得る。このような強大な力は本来長い時間をかけて徐々に得るものであり、上の因果律を破った行為のように見える。だが実際は過去のリアルニンジャが長い時間をかけて蓄積したカラテが譲渡されているのであり、より大枠で見た場合に因果律は破られていない。このような行為は現実でも化石燃料の採掘などで起こっていることであり、だから四部においては化石資源、エメツがテーマの一つとなっているのだろう。

人間がより広い世界、より大きな範囲を認識できるようになればこのような意味不明、理解不能な現象は減っていく。じゃあそうすればいいではないか、というとそうもいかない。なぜなら人間の認識能力には限りがあり、脳の処理能力はここ数千年程度では劇的に変化したりはしないからだ。脳が実際処理できる人間関係は百人程度である、というような研究もあるように、複雑すぎる現代社会は一人の人間が処理するには手に余るのである。

ではどうすればいいかというと、現象をモデル化、単純化すれば良い。そしてこれが物語、言葉の持つ役割なのだ。既存のモデル、既存の物語に当てはまる現象に対しては既存の言葉をあてがう。それでも未だ対応する言葉が存在しない現象に突き当たった時に人間は「意味不明」と認識してしまうのである。

この「現象のモデル化としての物語」を考える際に問題になるのが最初にあげた「どこを始点とし、終点とするか」なのだ。無限に続く物語は無限に情報量が増えるだけなので、せっかくのモデル化が無意味になってしまう。そこで必要となるのが現象の繰り返し、周期運動だ。物語の始点と終点を誕生と死例えるならば、これは無限の輪廻転生と呼べる。無限に続く現実を周期運動の重ね合わせとして表現すること。フーリエ変換を学習したことのある人ならわかると思うが、それが現実に対する物語の機能である。


ニンジャスレイヤーにおいてジェイク関連やロブスター等「一見意味不明に見える」エピソードはいくつか存在するが、これらは上記で示されたように我々の認識を最適化するために意図的に配置されたものと考えるべきだろう。

四部のエメツやウキハシ・ポータル、サツガイなどでさらに曖昧になった因果律、生と死の境がどのように発展していくのかがこれから楽しみである。


スシッ!スシヲ、クダサイ!