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ヤクザ天狗 〜奇跡の定式化〜

久々にニンジャの考察としてヤクザ天狗についてまとめてみたいと思う。(非ニンジャだが)

ヤクザ天狗がニンジャスレイヤーのキャラクターとして特異なのは、彼自身がニンジャハントする動機が「ニンジャソウルを解き放ってしまった贖罪」という完全に彼の内的な要因によるものという点にある。(それ自体も勘違いなんだけど)
つまり、忍殺自体が個人と社会のネットワークを重視している物語にあって、ヤクザ天狗の行動原理はそれから全く乖離しているのであり、それを指して「狂っている」とされているのだ。(奇しくもこの行動原理は世界情勢を無視したフジオのカツ・ワンソー殺しに近い)
しかし、ファンタジー系における勇者とかは割とこのパターンが多くて、それが狂っているとされるのは、複雑な社会においてはミクロコスモスとマクロコスモスが大抵は一致しないという示唆でもあるだろう。

また、ヤクザ天狗が登場するエピソードは一定のパターンがあり、
エピソードのヒロインヤクザ(?)に強烈な印象を残したヤクザ天狗をまた呼ばざるを得ない状況が生じ、その結果、ヒロインヤクザが最初からヤクザ天狗を求めていたのだと自分自身を納得させてしまう、という構造がある。そして、それはしばしば奇跡だの運命などと形容される。こういったことから、(少なくともニンジャスレイヤーにおいて)「奇跡」とはなんなのかというのが定式化できるように思う。

・ミクロコスモスとマクロコスモスの一致

ヒロインヤクザは様々な理由からヤクザ天狗に助けを求めるわけであるが、本来ならそれはヤクザ天狗(フリーランスヤクザ、デグチ)の贖罪とはなんの関係もない筈である。
けれどもヤクザ天狗はなんのかんのとそれらの行動を「贖罪の聖戦」に組み込んでしまうのである。それらの象徴が獣の数字、893であって、意図的にしろ偶然にしろ、ヤクザ天狗は1日に二度は訪れる8時9分3秒という時刻と自分の行動を結びつける。
このように、本来ならなんの関係もない個人の内面≒ミクロコスモスと周囲の環境≒マクロコスモスが偶々一致した瞬間を「奇跡」と形容するのである。この構造に関しては他のニンジャについても同様に言えることなのだが、ヤクザ天狗に関してはもう一つ重要な点が存在する。

・過程が隠されている

ヤクザ天狗がヤクザの助けにタイミング良く応じられるのは入念な下調べと盗聴によるものなのだが、それらはヒロインヤクザからは隠されている。それにより「天狗の目は全てを見通す!」などといった神秘性(ハッタリとも言う)が生じるのだ。
これはスガモにおけるヤクザ天狗の登場にも当てはまっており、おそらく彼は49課の警察無線からカンゼンタイとの戦闘や弱点について聴いていたのだが、ヤマヒロにとっては「自分が獣の数字にダイヤルしてヤクザ天狗を呼んだから現れたのだ」ということになる。

ヤクザ天狗、あるいはニンジャスレイヤーという作品の奇跡、神秘性はこの「変な回線が偶々通じてしまう」「その結果に通じる過程が隠されている」という二本柱から構成されているのである。

スシッ!スシヲ、クダサイ!