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素直に一生懸命に・郡山

想像力と好奇心

私の2024年のテーマは「想像力と好奇心」だった気がします。今年の初めらへんに私の中でトレンドになっていたキーワードが、そのまま俎上に上がりました。

具体的には分からなくても、相手のたくさんの積み上げを想像して、リスペクトを大前提としたコミュニケーションをしたい。あとは、自分も相手も楽しませられる人になるために、面白みに到達するまでの少しの努力を厭わない人間になりたい。「想像力」と「好奇心」は全然独立してなくて、お互いに影響し合っていると思っています。

KYNEさん


つくることの幸せ

想像力と好奇心を手に入れ、積極的に物事を取り入れて、ライフワークとして自分なりの何かをつくりながら生きていけたら、自分の人生はもっと幸せになるのではないかと思うのです。(消費的、受動的なものを否定する気はありません)あわよくばその幸せを誰かと共有し合い、そんな人が増えたコミュニティ、まち、世界は、今よりもっとエネルギッシュなんじゃないかと思います。


つくる人たちに出会う

そんな、想像力と好奇心に溢れた、自分と周りの人生を本当の意味で幸せにしようとしている人たちに、LIVE DESIGN Schoolで出会うことができました。

例えば、島根で里山再生と職人育成をしているデザイナー(内容多すぎ)の小林新也さんの所に5日間、フィールドワークしに行きました。そこでは、新也さんが持っている山から切り出した木を製材して、作業場をつくる工程に参加。

床板を切り出して載せていく。根気。

自分たちの土地から採れたもので、自分たちに必要なものを自分たちでつくっていくことの勢いを受け取ってきました。詳しくはこちら▼


郡山

LIVE DESIGN Schoolの中でも、島根で山を切り開くデザイナーもいれば、都市で活動するデザイナーもおり、その1人が、福島・郡山のさとうてつやさん。

人口30万・東北第2の都市と言われる郡山は、幅の広い国道・整然とした住宅街・大きいショッピングモールと、分かりやすく「住む街」という感じ。

郡山の若者は街に「なにもない」と言うようですが、そこで生活することの素晴らしさを伝えるためのデザインをしているのが、さとうてつやさん率いるヘルベチカデザイン

ヘルベチカデザインの活動の一つが、gnomeという発酵料理のレストラン。SNS・Googlemap・WEBに看板も住所も載っていないレストランで、ガンガン広報するのではなく、地域の人たちと丁寧にコミュニケーションをとりながら、地域のものを使った美味しいものを提供して(マジで美味しい)、じっくりと地域で愛されるお店を目指しています。

※写真も撮ってはいけないお店なので、イメージです笑

説明が下手で申し訳ないですが、何となくヘルベチカデザインの雰囲気を感じてもらえたでしょうか。

そして、自分の生まれ育った、THEベッドタウンの千葉・市川と、「住む街」の郡山を重ね合わせ、ヘルベチカデザインの考え方に未来を感じて、大学最後の春休みにインターンとして参加しました。

郡山を通過するはやぶさ君を頼もしく感じました


学んで・編集して・見せる

てつやさん曰く、デザインのプロセスはこの3段階。まずはたくさん調べて物事や課題の本質を見つけ、それらを整理・編集して、アウトプットとして見せること。とてもシンプルなものですが、プロセスの中で自分が今どこにいるのか、ふと立ち返る時に活かします。

てつやさんの説明を元に作成

今回のインターンでは、会津で作られる米焼酎「ねっか」に関わる情報を、ヘルベチカが関わるD&DEPARTMENTのお店でどのように展示・広報するかを考えるのが課題でした。伝えたいのは米焼酎ねっかがどういう場所でどういう人が作っているか、みたいな情報がメインですが、焼酎自体もまたフルーティで美味しいんです。焼酎は芋派ですが、フワッと香りを楽しめる、和食に合いそうなお酒です。

ものが生まれるには理由がある

てつやさんから頂いた最初のアドバイスは、ものが生まれるには理由があるということ。そのものを必要とする人や環境があるからものが生まれるのであり、そこに人の意志が表れる、と。

例えば米焼酎ねっかは、ねっかが作られる会津・只見地域の米づくりのある風景を絶やさず守るために、お米の使い道=手段として造られています。

でも、現地に出向いてお話を伺った結果、守りたい風景とはただの田園風景ではなく、お酒造りを含めた、只見地方で生業を立てて暮らす人々がいる風景だと、解釈が深まりました。

ものについて考える時に、それが存在することが当たり前ではなく、一つ一つにリアルな意志がこもっているという視点を持ち、それを追い続けることが大切です。

リサーチはリサーチでも、何のためにやるのか、リサーチした事をどういう視点で見るのかという感じで、あって当然と思いがちな行動に色やベクトルをしっかり与えてくれてくれるのが、てつやさんの視点だなと感じています。


心跳ねるところまで

リサーチは大変。全体も詳細も分からないことを、手探りで少しずつ掴んでいく作業の面倒さは、知的好奇心では乗り越えられないこともあります。

でも絶対に、ものが生まれるに至ったポイントを見つけるのが大事だし、シンプルにこちらも「むむっ」ってなるはず。

だから、自分が「むむっ」ってなる、心跳ねる瞬間が来るまで深堀り続けることはもちろん、それを確実にキャッチするのが重要だなと思いました。疲れていたり、流れ作業のように情報を眺めていたら恐らくスルーしてしまうであろうポイントに、ちゃんと引っ掛かれるかは、私にとって重要なことだと思っています。

そして、ヘルベチカデザインの皆さんは、なんかとっても素直、というか、出てくる言葉が心にスッと入ってくるような心地良さがあります。私の中の「東北地方」のイメージと違わない、寒い地方だからこその温かみのある雰囲気みたいなものがあって、ご一緒させていただけて本当に良かったです。

そしてインターンが終わってから1ヶ月が経とうとしていますが、素直に良いなと思ったものをしっかり拾うようにしています。それを記録したり、誰かに伝えようとした結果、素直に良いなと思うものを拾えるようになり、とても楽しいです。

毎朝お参りに来ているのだろうか


考えることをやめない勇気

インターンでは、米焼酎ねっかの始まり、製法 / 生産地 / 販売活動 / 地域貢献 / ステークホルダーなど様々な情報を調べて現地調査も行いました。とにかくリサーチが長く、6日間のプログラムのうち最初の4日間はほとんどリサーチ。どこが大事で真ん中に来そうか、作り手の本当の意図はどこにありそうかと、「学ぶ」と「編集する」とを行ったり来たりして議論し続けていました。

どうしても何かを企画する時は、扱う対象について深堀りすることをパスしたり、煮詰まったらすぐアイデアベースで考えてしまいます。徹底的にどこが大事か、本質を見極められるまで掘り下げて続けて情報を整理し続ける経験をほとんどしたことがありませんでしたが、とても心地よいストレスがかかっていて、これからの私のスタイルが形作られていくような感じがありました。

広告やデザインのお仕事であれば、依頼主のことを本当に理解する、まるで自分の中に依頼主やその扱う商品をインストールするくらいまで、しっかり本質を見極める。

そして「本質を見極める」ことは、対象と関係性をつくることなのかなと思います。まるで自分のことを考えているかのように企画ができるようになって、アイデアに対して対象と合意が取れている感覚が、本質を見極めて考えられているということなのかなと思います。

その感覚に至るまで、考えて編集し続けること。ギミックも楽しいけど、考え続けた先に「伝わる」があると信じて考え続けようと思います。


伝える筋肉と伝わる筋肉

さて、ここまでたくさん調べて本質を見極めたら、それを昇華するアイデアを考える。学んで編集したら、それをどう見せるかを考える。

「本質はどこか」と考えるのは、こちら視点の「伝える」方法を考えている感じですが、どうやったら見たいと思えるか、面白いかという「伝わる」アイデアを考える時こそ、地に足を着けていたい。

例えば、米焼酎ねっかの生まれた只見地方の雪深さを、壁面に実際の積雪の高さを書いて表現する展示案。インパクト重視なアイデアに思えますが、雪の動けない時期があるからこそ、冬のお酒造りと夏の米作りを両立して生計を立てる人がいる。夏の田園風景を思い浮かべて冬の仕事に励む人がいるかもしれない。この雪の厚みから只見の人はいろんなことを考えてものづくりをしているということを考えたら、このアイデアは全然突飛じゃなくて、しっかりと伝わるものだと思います。

ガチ冬は2m?くらい積もるみたい

伝える筋肉と伝わる筋肉は、全く違うように見えて連携しているような気がしています。伝わる筋肉ばかり育てたら、どこかで行き詰まる。まるで○○筋と○○筋の関係ですねと言いたいところですが、全く知識がないので筋肉に詳しい方がいれば教えてください。伝えるに支えられた伝わるを考えていきたいです。


決定する、軽やかに

深堀りたい、本質を見極めたいという話のあとですが、最後は展示案に落とし込まなければなりません。〆切もあります。

正直アウトプットは悔しい結果に終わったように感じています。アウトプットの形も、プレゼンも。伝わる視点で考えられたポイントが少ないし、学んで編集したこととのギャップも大きいと感じています。

一緒に作り上げてくれた皆さん本当にありがとうございました!

うーん、でも、1回1回やれることをやって、あとは軽やかに決定してしまう。人事を尽くして天命を待つ、みたいな。そしてその決定に縛られず、決定する経験をたくさん積むことで、調べて考えたこととアウトプットのギャップが埋められるのかなと思っています。


回す、回す、回す

終わってみると、やっぱり見せることを意識しながら、学んだり編集できたりしたら質が上がったかもと思ってしまいます。アウトプットを意識してインプット出来たら。

でもそれは最初からは出来ないからこそ、先の通り、決定する経験はたくさん積みたいし、この3段階のプロセスが直線ではなく円環なのは、グルグル回すからかなと。一つのお仕事でも何周も回すことで、「学ぶ」「編集する」「見せる」の距離が近くなっていくのかなと思います。


想像してもらう

今回は米焼酎ねっかのことを考えましたが、私がいた時は漆器の展示がされていました。漆器が作られているプロセスや環境などを、こんな感じで伝えていました。

博物館・資料館とは違くて、道具や材料などの実物は置いてあるけど、そのプロセスを伝えるキャプションや仕掛けは少ない。

実物を見て、受け手自身が、製造工程などを想像する。

私の中のデザインに関する印象深い転換だったのですが、徹底的に分かりやすく伝えることだけが正しいわけではない。想像させるからこそ、見る人に深く伝わることもある。


想像する

見る人に想像してもらうようなデザインが、本当に想像してもらえるのか。とても不安ですが、徹底的に学んで編集して見せるまでを何度も回して、出来たものを置いて、あとは待つ。

待つのも、想像してもらうことを想像して、遠い成果を願いながら、待つ。

私はそんな仏みたいなスタンスのてつやさんと話すのが好きです。それはてつやさんがいつも事象を遠い所まで想像して考えていて、その片鱗を聞かせてもらうことで、私も自分なりに遠い先を想像したり、てつやさんに遠くまで連れて行ってもらっているということなのかなと思います。

そういえば、私は映画やドラマより小説を読むことが多いです。小説は、読みながらストーリーを自分の頭の中で映像化していく楽しさがあります。想像、もはや妄想ですが、とても刺激的です。おかげで全然読み終わりませんが最高です。


まちづくり

まちづくりも、想像することです。何かの仕掛けやクリエイティブに触れた人が、その人の中で様々な想像、妄想をする。何かやりたいことでも何でも、自分なりの活動を見つけて動くことで、その人が活性化する。別に死ぬほど美味しいカレーが作れるとか、ギターが上手いとか、プロである必要はないんですが、その人がそれをすることに幸せを感じていること。そして、そういう人たちが増えて、関わり合っているまちって良いよねってことです。

そんな理想を描いて、てつやさんはデザインとまちづくりを掛け合わせて活動しています。

決してデザインをしている自分たちが前に出ることなく、生活する人たちが主役になるような立場で活動する。八百屋・魚屋・デザイン屋といったイメージ。

何気なく、強く意識されることなく、日常的に使われるデザインを、そっとそえる。変えるのではなく、整えるためにデザインする。ちょっと良くする。

抽象的な話に終始してしまいましたが、ヘルベチカデザインのworksも考え方も、本当にそうだよなぁって感じです。

ヘルベチカデザイン会長・バーディ氏


必要なデザインがしたい

正直、自分で自分の旗を立てることにも関心を抱いています。コミュニティの中で自分の役割がある状態ではありたいと思います。

かといって、自分の作家性みたいなものを主張することにもそこまで未来は感じません。

考え抜いて物事の本質を見極める訓練を積んで、誰かを幸せにできる、誰かに必要だと思ってもらえるデザインをしていきたいです。そういうことをしていそうなキャラでいたいです。

コミュニティや社会の中で感じる自分の小ささに焦らず、目の前のことに一つ一つ一生懸命に物事を動かして、糧にしていきます。

自宅の福島たち

インターンは6日間ととても短い期間でしたが、大学最後の春休みに本当に良い経験ができました。現実とのギャップには常に苦しんでいますが、こうやって考えたことが原動力にもなっています。

ヘルベチカデザインとインターンの皆さん、LIVE DESIGN Schoolでお世話になった方々に感謝申し上げます。ありがとうございました。また皆さんと語らえる日を楽しみにしております!

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