多様性を考える

前回の吉野家採用のお話のスピンオフというか、寄り道。

私にとっての「多様性」というものは
国籍フィルターがない状態もいいし、あるという選択をしてもいい
というような、どこか矛盾した感じ。

もちろん、総合的に考えたら
国籍フィルターなんてない方がいい。とは思う。

でも、「国籍フィルターがない方がいいんだから、なくそうよ」という意見は一方で国籍フィルターがあった方がいい、という意見を否定してしまうような気がしている。

国籍、学歴、あとは差別的だといわれているような適性検査なども
差別ではなく区別なのかもしれないし
理由があってそういうフィルターが必要なのかもしれないと考えると
「フィルターがあるからダメ」とは言い切れないのではと思う。

私の実体験。
以前、自分のチームメンバーにとある人がやってきた。
3人かかりで一生懸命教えてフォローしても一向に成長が見えなくて
教え方が悪いのか、やり方が悪いのか
試行錯誤していたときに、たまたま出会った「発達障害グレーゾーン」という情報。

本を読めば読むほど、あぁ、これだったんだ、と思い
そこから指導担当の3人では「グレーゾーンの可能性が高そうだ」という意識をすりあわせて、フォローがうまくいくようになった。気がする。

当時私は、グレーゾーンっぽいからという「区別」をしていて
決して「差別」をしていたつもりはない。

フィルターはある意味「区別」の役目を持つ場合もあると学んだ。

だから、一概にフィルターが全部ダメというわけではないと思っている。

そういう経験もあって、冒頭のような気持ちになるのだと思う。

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