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『天気の子』の感想と考察 新海版『自ギャグの詩』なのか?

とりあえず、ネタバレなしの感想

前作の『君の名は』が大ヒットしただけに、どうやっても比較されてしまう本作。
わたしの周りでは賛否両論な意見が多かったですけど、単純にメインターゲットの年齢層を少し下げたので、その分、私の周りの年代には少しボリューム不足だったのかなーと感じました。
しかし、売れて大衆向けになった、というわけでなく、新海節は健在です。

なので新海誠監督が言ってた「10代から20代前半に向けて」というコンセプトが『天気の子』でより実現できた、という評価もできます。

というのも、そもそも『君の名は』はメインターゲット層にはちょっとわかりにくい内容だったらしいんだよね。
『君の名は』の公開時、映画館を出るときに前にいた20代カップルが「なんか難しい映画だったね…」と神妙に言ってたのが思い出されます。

実際、同期間の興行収入は前作『君の名は』と比べ28・6%増という記録的ヒットを飛ばしてるということもあり、新海誠監督が勝ちにいって、ちゃんと勝った作品だと思いました。

天気という毎日情報共有するような人類共通の題材を季節感と時代感たっぷりに描いた青春恋愛アニメ映画の傑作だと思います。

↓ここからはめちゃくちゃネタバレしてます。

気持ち悪さの扱いがうまくなった新海監督

新海監督といえば、主人公の気持ち悪さが有名ですが、今回は主人公の気持ち悪さをちゃんと物語に組み込みながらも、その扱いのうまさにより、気持ち悪さがだいぶ緩和された感じがしました。

これは自分の変態性(作家性)を否定せずに、真っ向からエンターテイメントして貫き通せる術を編み出したということなので、かなり強い監督になったんじゃないんでしょうか。

指輪をプレゼントする重い行為を、幾重にも渡り肯定し続ける自演自作テクニック

たとえば、主人公がヒロインに指輪をプレゼントするシーンがあります。
指輪をプレゼントすること自体は、アニメとかマンガではよくある展開でもあるんですが、リアルで考えると、付き合ってもない女の子に指輪をプレゼントするのは結構重くて気持ち悪い行為で、迷惑になったりもします。

新海監督も指輪をプレゼントすることが重たいことは知ってます。
これをなんの防衛線も貼らずにストレートに描いたら、視聴者にディスられるのが目にみえているので、色んな手を使って、主人公の気持ち悪いイメージを軽減させてます。

弟(センパイ)のせいにして、正当化させる

Yahoo知恵袋のクソリプや、年上の女性に何をプレゼントしたら喜ぶかを聞いて、そのまったくアドバイスが役に立たないという前提を作ってから、彼女の唯一の肉親であるヒロインの弟(ナギ)に「指輪だね。間違いない」と断言させます。

そこですかさず主人公に「いきなり指輪!? それって重たくない?」と言わせて、主人公は指輪をプレゼントするのに反対してるかのようなリアクションをさせているのです。

さらに弟は女の子にモテモテで恋愛術に長けている設定を利用し、年下である弟のことを「センパイ」と呼ばせ、先輩のアドバイスなんだから、後輩からしたら聞くのが当たり前。主人公がヒロインに指輪をプレゼントするのは自分の意思ではなく、信頼のおける先輩の意見だから気持ち悪くないという正当化をおこなってます。

最後の駄目押しとして、前作のヒロインである『宮水三葉』を指輪のショップ店員として登場させて、
「こういうの(指輪)って、もらって嬉しいと思いますか?」
「私だったら、すごく嬉しいと思う」
という会話まで入れてフォローに努めています。
ここまでくると、まるで自演自作スレのような展開です。

気持ち悪さを笑いに昇華させ作中に入れ込んでいる

他にも『愛人』という下劣な連想をしてしまった主人公に対し、ヒロインが「その妄想引くわ」とつっこみ(客観性)を入れることにより笑いに昇華させてます。

好きな子を守るために、大勢を犠牲にする物語

よくおとぎ話に登場する3回の繰り返しの法則というのがあります。
123と同じことを繰り返して、3回目で大きく変化させるという物語技法なんですが、『天気の子』では、銃の発砲(殺人行為のトリガー)が3回目で大きな変化をみせる展開になってます。

まず一回目は、ヒロインを水商売人から守るために発砲します。
これは自己防衛として発砲されますが、主人公がおもちゃだと思っていた(本当か?)という証言があるので、殺意まではなかったかもしれません。
トリガーは引かれますが、未遂に終わります。

二回目はヒロインの元に行くのを邪魔をする須賀に威嚇発砲されます。
こちらは威嚇発砲とはいえ、銃が本物であることを知りながらも、命の恩人で、ずっとお世話になっていた人に対して「自分の邪魔をするなら撃つ」という意思を持ってトリガーが引かれます。

三回目は銃ではないんですけど、クライマックスの空の上のシーンです。
「ヒロインを犠牲にするくらいなら、他の人を犠牲にしてもいい」という明確な意思をもって、ヒロインを現実に引き戻す形でトリガーを引きます。

ヒロインを世界に戻して、東京の一部が沈没するというのが、この物語で何を指すか、作中では、映画の最初の船のシーンで主人公が死にかけたり、雷が落ちて車が炎上していたりと、結構やばい描写になってます。
あのあと、同じこと以上のことが広範囲で起きたと考えられます。

物語の中に拳銃が出てくれば、それは必ず発射されなければならない

『天気の子』がちょっと不気味なところは、主人公の素性がまったくわからないところで、「家出してきた」とのことだけど、まったくその背景や、家庭環境が描かれていません。

「バカにハサミを持たせるな」ということわざがあるけど、「謎の家出少年に拳銃を持たせるな」という感じの、何をしでかすかわかんない感がある。

作中に登場する「キャッチャー・イン・ザ・ライ」は確かに家出少年を象徴する青春小説ではあるけど、本命は翻訳の村上春樹の『海辺のカフカ』(こちらも少年が家出をする話で、しかも、空から魚がふってくる)であり、『チェーホフの銃』(物語の中に拳銃が出てくれば、それは必ず発射されなければならない)なのかもしれない。

僕たちは、ぜんぜん大丈夫ではない

人がたくさん死んだあとで、主人公はまるで禁固刑かのように、島に戻され、保護観察処分になります。
まるで、二年半後の刑期を終え、ムショ帰りのように東京に戻るのだけど、そこで主人公は大人から2つの免罪符をもらいます。

一つは『晴れ女ビジネス』の最後の顧客による『もともと海だったから、元に戻っただけ説』

二つ目は、命の恩人であり、東京でお世話になった須賀さんよる『全部妄想。自己中すぎ、世界なんて元から狂っている説』

主人公はこの二つの免罪符を持って、彼女の元へ訪れるのだけど、今だに祈りを捧げ、天気を晴れにしようとしているヒロインと出会い「違った。そうじゃなかった。世界は最初から狂ってたわけじゃない。僕たちが変えたんだ」と確信し、その上で「僕たちは、大丈夫だ」といって、突然RADWIMPSの「大丈夫」という曲が流れて、映画が終幕します……。

いやいやいや、ぜんぜん、大丈夫じゃなくないか?!?!?!?

わたしは、この急な『大丈夫展開』に感動しながらも、脳内では笑ってしまいました。

伊集院光の深夜の馬鹿力の人気コーナー『自ギャグの詩』流「大丈夫」を想起させる

この急な『大丈夫展開』で思い出したのは、伊集院光が毎週放送している『深夜の馬鹿力』の人気コーナー『自ギャグの詩』

リスナーの経験したトラウマ話(親の財布からカネを盗んだとか、好きな女の子のリコーダーを舐めてバレた思い出など)を募集し、ネタとして投稿することにより、トラウマを持ちネタ(ギャグ)として昇華するコーナーで、

リスナーによる聞くに耐えないような恥ずかしい告白のあとに「伊集院さん、こんな僕は大丈夫なんでしょうか?」と質問して、伊集院が最後に「大丈夫です!」と言いはる企画なんだけど、

この『天気の子』も簡単にいえば「サリンジャーの小説に憧れて、大したお金もなく、東京に家出し、取り返しのつかないことをして、逮捕歴まで作ってしまったトラウマ物語」なので、その体験のあとに「大丈夫!」でしめてくるので、『自ギャグの詩』に構成が似てます。

わたしはこのコーナーが好きで、ネタを聞きながら、恥ずかしくなったり、落ち込んだりしたあと、最後は「大丈夫なんです」という伊集院光のセリフをきいて笑っていたので、脳が「大丈夫」に反応して、笑ってしまった気がします。

結局、何が大丈夫なのか?

自然現象や、妄想なんかではなく、自分の選択で、好きな女の子を守るために、大勢を犠牲にし、東京の3分の1を水没させてしまったことを認めて、それでも僕たちは大丈夫だといいはる主人公。

結局、それのどこが大丈夫なのか、というのは、観た人がそれぞれ決めればいいと思うんだけど、『もともと海だったから、元に戻っただけ説』や、『世界なんて元から狂っている説』には主人公は納得してません。

この他にも神社の神主が「天気とは天の気分」であり「人間は天の気分で変貌する世界に、ただ仮住まいしているだけ」という『生物の繁栄自体が超存在の気分次第説』を紹介しています。

このセリフを元に、主人公が空の上に飛び、超次元存在に触れた時に、神様の視点(何千年とかの規模でみると、異常気象も、人類の大量死も些事であり、常に起きている変化のひとつしかない)を手に入れたから「大丈夫」というSFチックな解釈もできなくはないんですけど、これは、あくまで作品の世界観を説明するセリフであり、ラストのセリフの解釈としては弱い気がします。

となると、やっぱり、ここはRADWIMPSの「大丈夫」の歌詞から、素直に解釈して、
雨の降り続ける東京に対して、いまだに祈りを捧げる(他人の心配をしている)ヒロインの美しさを目の当たりにし「二人だったら、きっと大丈夫にしていけるだろう」と主人公が感じた、というところが無難な解釈かな、と思いました。

『崖の上のポニョ』との相似性はすごい

相似性のある作品をあげていくとキリがないんだろうけど、天気の子にでてくる『雨の魚』とフジモトが操る『水魚』はそっくりだし、そもそもお話自体が二つとも『子どもが家出して大恋愛をした結果、街が水の底に沈む』という話なので、大筋でいえば、まったく同じ話になってます。

ちなみに、似た物語でいうと『夜明け告げるルーのうた』もだいたい似た感じの物語で、二人の若手(?)監督が、ジブリの中でも『崖の上のポニョ』を意識した作品を作ってるのはちょっと興味深く感じました。

「自分が世界の中心である」という自惚れの大事さ

ここからはより個人的な感想になるけど、
小さい頃ほど『世界は自分を中心にまわっている感』というのがあって、その感覚のせいで、色々恥ずかしい思いや、挫折、いわゆるトラウマ体験を味わい、その経験が積もり積もっていくと、最初が世界の中心だったはずの自分が『人類史の中の無限に登場するモブキャラ(エキストラ)の一人』みたいな、広い視野を持ったせいで、小さい視点になってしまいがちなんだけど、

天気の子は「自惚れるのも大概にしろよ、お前なんかモブなんだから、世界の責任を感じる必要はないんだよ」という視点に対し、「いや、やっぱり俺が世界の中心だから、世界の問題も自分にも繋がっている問題だし、それは無視することはできないんだ」といったような、あえて『自己中心的で内向的な物語でいく』という気迫を感じました。

なんかわたしも最近、不運続きで、ちょっとしょぼくれて、年もとったし、なんかすっかりエキストラとしての自分の役割を受け入れがちだったんだけど、もうちょっと生活に主人公感を取り戻してもいいかなという気になれました。

そんなわけで、最後の「大丈夫」は笑ってしまったものの、ちょっと興奮した、というか、嬉しかった、というのが正しいのかな。
観たあとに、観るまえとは、立ってる場所が違った気分になれるいい映画でした。

というわけで、『君の名は』に続き、心を動かす名作をありがとう。新海誠監督。というお礼で感想と考察を〆たいと思います。

【おまけ】小説版を読んで気づいたこと

セリフを確認にするために小説版も読んだのだけど、そのおかげで気づいたことを紹介。

少年が青年になる話

主人公に対しずっと「少年」という呼称を使っていた加賀が、主人公が東京に戻ってきたときに「まあ、気にすんなよ、“青年”」と呼称を変えている。
主人公を子ども扱いしながらも、ちゃんと「主人公の成長を認めているので、気付くとちょっと嬉しい小ネタ。

『夢大陸アドベンチャー』と『天気の子』の関係性

小説では冒頭に登場するフェリーの食堂で流れているBGMについて、すごく濁して書かれているんだけど、『けっきょく南極大冒険』で使われている曲『スケーターズ・ワルツ』であることがわかる。

他の場面ではいちいちBGMの描写なんてしてないし、するにしたって、わざわざ『けっきょく南極大冒険』で使われていた曲であることを作中で匂わせる必要がないので「『天気の子』は『けっきょく南極大冒険』と何か関係性があるに違いない!」と深読みしていくと、続編である『夢大陸アドベンチャー』には意外と相似する点がある。

『夢大陸アドベンチャー』には、特定の場所でジャンプして、隠しアイテムをゲットすると、雲の上にあるボーナスステージにいく裏技がある。

ステージとしては『雲の上』というよりかは『宇宙』という表現が近いんだけど、普通のステージでは画面の上に描かれていた雲が、ボーナスステージでは足元に浮いている、つまり『雲の上の世界』として描かれていて、ちゃんと魚まで現れる。

またエンディングが2種類あり、wikiによれば空のベッドで病状に伏しているヒロインを助けるという設定になっているようだ。

バッドエンドではペンギンの到着時にはペン子姫は既に亡くなっており、ペンギンは空のベッドに置かれている遺影に向かって号泣する。対して、ハッピーエンドでは病床に伏していたペン子姫が起き上がり、ペンギンからゴールデンアップルを受け取って微笑み大団円となる

引用元 https://ja.wikipedia.org/wiki/夢大陸アドベンチャー


こういった物語の最初にゲームを登場させ、ストーリー展開を想起させる手法でいうと、Netflixの人気ドラマ『ストレンジャー・シングス』が有名で『ストレンジャー・シングス大解剖』の中で、制作スタッフたちが、シーズン1では『ダンジョン&ドラゴンズ』を、シーズン2では『ドラゴンズレア』と『ディグダグ』を登場させ、その後の展開をほのめかすお膳立てとして登場させたと証言している。

というわけで、冒頭にBGMとして使われる『スケーターズワルツ』は、『夢大陸アドベンチャー』の空の上にいって病気で倒れているヒロインを助けるという物語を想起させるために使った可能性が…あ、あ…るのか…?? 

真偽は監督に聞いてみないとわからないけど、あれだけ現代を意識した映画の中に『けっきょく南極大冒険』なんて古いゲームをわざわざ持ってくるのは、なんらかの理由があったと思うので、皆さんも良かったら考えてみてください。

この映画の感想レビュー&考察サイトで、『海辺のカフカ』と、石田祐康監督の映画『ペンギン・ハイウェイ』の補助線をひいた凄まじい考察があるので、『夢大陸アドベンチャー』ではなく『ペンギン・ハイウェイ』のほうに、もうちょっとわかりやすい関連性があるのかもしれません。

以上。

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ゲームと健康

主にゲームと健康について考えていくNOTE、人。

コメント2件

とても参考になりました
ふと機動戦士ガンダム 第08MS小隊のシロー・アマダとアイナ・サハリンのことが頭をよぎりました
戦時中ならではの『生きてアイナと添い遂げる』と言う言葉の滑稽さと純度と「二人だったら、きっと大丈夫にしていけるだろう」は似ているかもしれませんね
コメントありがとうございます!
そういえば、第08MS小隊は途中までしかみてないので、こんど全部みておきます!
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