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快楽主義の表現者


まず始めに断言するが、この文章は下ネタではない。


こんな風に考える事がある。

《私が何かを表現する行為》は《自慰行為》とたいして変わらないのだと。

文章であっても、写真やイラストであっても。
歌やファッションでさえ、もしかするとそうなのかもしれない。

表現する。
という行動を起こして、快感を得る。

それが性的なものでないというだけで、私自身が満たされて悦んでいるというのに変わりはない。

私にとって《表現》とは《オナニー》であり《自分本位な価値観の放出》なのだ。


例えば写真。

まずは自分の好きなものを、好きなように撮る。
参考にしてみたいと思った表現や手法があれば、それを取り入れて《自分が満足する画》をつくる。

あくまでも趣味、自由だ。

そこにモデルさんが入った場合はもちろん相手と意見を交わしながら作品を作るが、それでも仕上がった作品(特に私が現像したものについて)は自己満足な仕上がりだな。とよく思う。

出来上がった写真をみて悦に浸る。
そんな時に自慰行為だな、と感じるのだ。


もちろん他人から褒められるのも、モデルさんに満足してもらうのも嬉しい。
しかし大前提として評価が欲しくて写真を撮っているのではない。

例えば、この撮り方をしたらバズる。という方法があったとする。
もしそれが私の《性癖》と合致するものであればやってみる事もあるが、そうでない場合、技術的に可能なものであっても、そのやり方を取り入れる事はまずない。

流行りに乗りたくないから、というわけではない。

私の趣味と違う作品が出来上がった時、それを見て《自分自身が満足しない》からやりたくないのだ。

たとえモデルさんがそれを望んでいたとしても、仕事でもない限りなるべく《自分が気持ちよくない事はやりたくない》と思っている。

せっかく撮影依頼をいただいても、そういった理由で断らせてもらう事もよくある。

少なからず私の写真をいいと思って下さった方に対して失礼な事だな、とは思うのだが…。
私がわからないジャンルのコスプレ撮影だったり、あまりにも私の作風とかけ離れたイメージの提案などは、私自身が楽しめるような気がしない、やりたくないな…。と感じるのだ。


ただ写真が撮れれば良いわけではない。

我ながらワガママだと思うが、そもそもただの趣味なのでそんなものだろう。
金銭が発生しているわけでもないし、お互いの条件がWIN-WINでない場合、憂鬱な依頼をわざわざ受ける必要はない。

仕上がったものをみて、自分が気持ちよくなれることが私にとって最良なのだ。写真に限らず、私の表現にはこの考え方が当てはまる。

文章、写真、イラスト、歌唱。どれにしたって大して技術があるわけでもない。
しかしそれを体から放出することによって、自己満足を得る。

こういった快楽主義的な考えを持つようになってから、より一層表現をするのが楽しいと感じる様になった。


やりたいように、好きなように、気持ちよくなる。
これが私の方針である。


最後に補足しておくが、これはあくまでも《私の考え方》なので、押し付ける気もなければ、誰かを否定したいわけでもない。

頭の中にある《思考》を吐き出す事でさえ、私的には《自慰行為》と変わらない行動というだけの事だ。

物好きの投げ銭で甘いものを食べたい。