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褒められたことを思い出した

授業課題で作った下のnoteが思った以上の反応があったのでそれで考えたことをここに残しておきます。noteの記事が他の人を幸せにするなんて思ってもいなかったので、いろいろな反応があり嬉しく思います。


思い出したこと

「褒められて嬉しかった」を考えるにあたり、ふと思い出したことがありました。高校1年の時に県単位での部の交流会があり、それに参加した時の話です。

高校時代は文芸部に所属していたのですが、秋の交流会のために高校生になって初めて読み切り小説を1本書いたことがありました。
初めて書いた短編小説はA4サイズに2段組の3ページ。中学時代から私が持っていた「私たちは誰かの手の上で踊らされているのではないだろうか」という疑念がテーマの小説です。

色々な高校の文芸部の部員が集まって、各学校が発行した小説を読んで感想を紙に書いてその高校のブースに届けていきました。

帰ってきた感想シートの内の1つが私の小説を読んだ感想でした。
しっかりと覚えているわけではありませんが「思ってもいない展開で面白かった」といった趣旨だったのは覚えています。

当時の部員数は20人ほど。そのほぼ全員が書いた小説が1冊になっていろいろな高校の人の手に渡り、読んでくれたかもしれない。しかもそのうちの1つはしっかりと読んでくれたのだという事実だけでとてもうれしく思いました。

3校が1グループ(初め、中、終わりをそれぞれ担当)のリレー小説もその時に行われたのですが、その時も「ここの急な登場人物によって物語の展開が狂ったやんwww」「これ最高に好き、来年も見たい」「始まりがこれなのに終わりこんなことになるなんて誰が予想できるんだよ!」みたいなことで他校の人ととても盛り上がったのを思い出しました。あれも一種の褒めだったんだろうと思います。


文章を書く理由

文章を書くことはクリエイティブなのだから、誰かから褒められたりレスポンスがあることでもっと頑張りたいとか、続けていこうかなってことになることを思い出しました。
元々私が小説を書き始めたのは他の人の小説を読んで自分も書きたい!と思ったから、文章を書き続けているのは文章を褒められたことがあって、文章を書くのが楽しいと思っているから。文章を褒めてくれる友人が高校時代はいて、その環境が今はインターネットに変わったのかもと思った。

だからnoteの文章を読んでいいなと思ったら、それを伝えないと書き手に伝得る方がいい。伝えなければ伝わらないのだというのは書き手である自分が一番知っているはずなのにしてこなかったのが恥ずかしく思う。


今回、課題の私の考えを補足して知ってもらいたいなと思ったのに、結果としてクリエイターたちに声援を届けることになった。本来の意図ではないが、それでも私はやって良かったと思った。またnoteやほかの場所であっても見ていいなと思ったら書き残していきたいと思います。

(私のnoteにコメントしろというわけではありませんが)これを見た人たちがnoteに限らず色々なところでコメントを残し、お互い良い刺激が得られたらいいなと思っています。