ありがとう東北。私は東北産フォトグラファー。

ついにこのときが来てしまいました。
とても悲しいのですが、東北といったんお別れして、明日5月10日から東京で働きます。仕事はやめてませんよ!
これまで通り朝日新聞のカメラマンを続けます。
勤務地が東京本社になっただけです笑

新聞社は全国転勤なので、入社14年目にして今回が6回目の転勤。珍しいことではないのですが、どうしてもこのタイミングで、紙面でもツイッターでもインスタでも伝えきれなかった今の気持ちを伝えたいと思いました。

これまでの仙台駐在カメラマンの任期は2年ほど。
2014年9月から4年8カ月もいた私はかなり粘った方です!
この間を振り返ると、東北には感謝しかありません。
人生を取り戻すことができたからです。

前任地でもあった東京本社では、事件事故、災害、スポーツ、政治経済などなど、日々のニュースを追いかけるだけで時間が過ぎていきました。
誤解を恐れずに言うと、それは命じられるまま現場に行き、写真を撮るだけで、自ら考えて取材する必要がない環境だったとも言えます。さらに、撮影するのは、私ではなく、どのカメラマンでも良い仕事ばかりをしていました。
言われた仕事さえちゃんとこなせば、「会社員フォトグラファー」としては生き続けられます。そんな環境に甘え、入社当時に抱いていた報道写真への熱い想いを忘れていました。(もちろん、日々のニュースを伝えることも、とても大事で、必要なことです)

でも、そんなダメな私を東北が変えてくれました。


未曽有の震災と原発事故で深い傷を負った東北では、取材の9割が東日本大震災関係。毎年、年をあらたにすると3月まで震災の取材ばかりです。


「何を伝えないといけないのか」
「何のために撮影をするのか」

最愛の人を亡くした遺族や故郷を追われた避難者の方々、復興の光と影を取材することは、そんな最も大事な問いを常に私に突きつけました。
日々、ひとりの人間として試されているようで、これまでにない経験でした。

苦しかったです。

「面白いお祭りや風光明媚な景色にあふれる東北にせっかくきたのだから
震災の取材は撮影を頼まれたことだけやろうか」と逃げることや、
「震災直後にちょこっと出張で取材することしかなかった自分がいまさら何を伝えられるのか」とネガティブな考えも何度も浮かびました。


ただ、幸いにして報道の意味を自問し取材する尊敬できる同僚記者と仕事ができたこと、そして何よりも「ここで向き合わないと一生後悔する」という思いが奮い立たせてくれました。

おかげで報道写真を撮ることの意味を問い直すことができ、入社前に持っていた情熱を取り戻すことができました。仕事に慣れる中でどこかに置いてきてしまった大切なものです。

特に、最後のこの1年はようやく「私だからこそできる取材」が実り、少しだけ胸をはって「報道カメラマン」名乗れるようになったと感じています。

ほんとうにダメダメな5年前を考えると、生まれ変わることができたとも思います。
そういう意味では、九州出身ですが、私は紛れもなく東北が生んだ東北産のフォトグラファーなのです。

もちろん、力不足でまだ取材できていないことも数えきれません。
(実際、できたことより、できなかったことの方が多いなぁ…)

働く場が東京に移ったことで、文字どおり第二の故郷が少し遠くなり、これまでのように簡単に、現場やそこに住む人に話を聞くことができなくなりました。

でも、ライフワークとして一生東北と関わり続けることを決めています。
それが私にできる唯一の恩返しだからです。

継続中のやり残した取材があります。
今まで出会った人に単純にまた会いたい、あのうまい居酒屋に行ってまた飲みたいという、仕事とは離れた「不純な」動機もあります笑。

もちろん、東北や被災地の現状の発信はこれからも変わらず続けていきます。

東北のみなさん。短い間でしたが、本当にありがとうございました。
そして、これからもよろしくお願いします。

 

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