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よりよきエヴィデンスへの手紙(事後解釈)

まず、この記事を書くに至った経緯が、黄金町バザールに出展している作品がみつけにくい場所にあって、作品としてみえやすい”ウラ側”の展示だけ見てしまった ”あるゲスト” への手紙である。

0、黄金町バザール2021のテーマ

SIDE BY SIDEという言葉は、ただ並んでいるだけ、というような無機質なレベルの意味合いと、共同するとか、一緒にやるとか、能動的な意味につながる場合と、両面で使われているようです。今回はまず無機質なレベルから始めてみます。
The phrase “side by side” can simply mean to physically “line up next to each other”, but it is also used to refer to the more abstract idea of doing something together, or in collaboration.
For KB2021, we began with the physical interpretation. Koganecho is full of innumerable doors and windows that line up side by side. 

1,サイドバイサイドの翻訳=批評

東地雄一郎は、サイドバイサイドの作り方への応答 /Response to Make a Side by Side として、黄金町バザール2021に作品を提出した。
サイドバイサイド=無機質に並べるだけ から想像したことが、批評である。その意味は、よりよきものとは何かを不断に模索することで、事物の美点や欠点をあげてその価値を検討・評価し、まだ見えぬ未来(に存在するよりよきもの)への要求をつくることである。

Side-by-side = just laying things out in an inorganic way, which is what I imagined criticism to be.The meaning of criticism is the constant search for what is better, and shortcomings,
to examine and evaluate the value of things by pointing out their virtues and to make demands for better things that exist in the yet unseen future.

2,批評の翻訳=よりよきものへの手つき

タイトル:よりよきエヴィデンス / Title:Evidence for Better
東地雄一郎は、よりよきものの条件(良品条件)の1つとして、永続的にその状態を保証する装置であること と考えている。この作品は、”保存” をテーマに制作されている。事後的に完成品の ”よりよき” を保証するためのエヴィデンスがその状態を保持するための装置である。これまでは、制作の始点からみたときの ”よりよき手続き” についてカタチにしてきたが、今回は、制作の終点(完成)からみたときの ”よりよきエヴィデンス” を提出する。

Yuichiro Higashiji believes that one of the conditions for a good object is that it be a equipment that guarantees its condition permanently.
This work was created with the theme of "preservation. Evidence to guarantee the "betterment" of the finished product after the fact is a device to maintain its state.In the past, I have given form to "better procedures" when viewed from the starting point of production,but this time I am submitting "better evidence" when viewed from the end point (completion) of production.

3,プロセスの解釈=事前的から事後的へ

黄金町AIRにスタジオを構えて3年間、制作とは?作品とは?というミニマムな問いを掲げて活動してきた。結果として、”プロセス”という言葉が、”制作と作品”をつなぐためのキーワードであると導出できた。これまでの”ルーシーの骨の60%” という活動で発表してきた事前的解釈で作品をみる視点に対して、今回は、事後的な視点で語ることに取り組み思考する。

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■ルーシーの骨の60%

今日までにみつかっている人類の祖先に近いとさせる化石は、ルーシーと名付けられた。”ルーシーはエチオピアの浅い川底で発見され、骨格の推定40%が完全な形で残っていた” とされている。制作中でまだみつかっていないなにかを、ルーシーのまだみつかっていない骨の60%というタイトルに見立てて発表していく、活動の中でできあがる制作のためのソースに目次をつけるプロジェクトである。
The only fossil found to date that makes it closer to the human ancestor was named Lucy." Lucy was found in a shallow riverbed in Ethiopia, where an estimated 40 percent of the skeleton remained intact."It is a project to add a table of contents to the sources for the production that will be created in the course of the activity, and to present something that has not yet been found in the process of being produced, in the title "60% of the bones that Lucy has not yet found.

4,事後的解釈の作品とは?=エヴィデンス

事前と事後の分岐は、作品の完成で定義される。

事前:作品が完成する前
事後:作品が完成した後

完成した作品からみえる(制作によって積み上げた)プロセスは痕跡として提出され、鑑賞者には、エヴィデンスと呼ばれる作品を理解するための手がかりである。

5,提出した作品=よりよきエヴィデンス

”サイドバイサイドの作り方への応答” として、批評を実行するための手がかりという意味で ”エヴィデンス” とした。ここで、”よりよき” は批評の意味である。作品が完成したときによりよい証拠となることでよりよい批評を生み出すことを期待する。

6,エラーをエラーとして検出すること/できないこと

宇宙に始まりはなく過去が無限に存在する可能性が示される

東地雄一郎が制作しているA=AA≠Aシリーズは、1枚の写真から2000枚のコピーを生成する作品で、オリジナルとコピーにまつわる問いを取り組んできた。この取り組み姿勢は、コピーすることに焦点が(事前的な部分に)あたっており、コピーされた(事後的な)部分にあたっていない。今回想定する批評は、事後的な立場に一時的に移行したときにみえる終点からプロセスをなぞり遡ることで導出できるオリジナルのバリエーションの幅(可能性)についての問いである。もしかしたら、コピーのオリジナルは存在しないかもしれないということかもしれない。

実際に、今回提出されている作品 ”よりよきエヴィデンス” は、これまでのメディウムからは想像ができないカタチになっている。だだ、この結果を成功とするかはこの時点では判断ができない。

ここで、A=AA≠Aにおいて確かにオリジナルは存在しているわけだが、それを事後的な解釈によって打ち消すがことができるのは、ある種のエラーである。こうしたエラーが起こること と それを検出できること は別にあると考えている。よりよきへ向かう手つきで重要なのは、エラーをエラーとして検出できるかどうかである。

7,エラーを検出するのに必要な基準=事前的な設計

エラーを検出するには事前的な設計基準(計画)があって、その結果が基準を満たすかどうかで判断される。これまで事後的な解釈での語り口であったが、事前的な解釈が一部挿入されるわけだが、事前的な解釈を事後似も確認するための手段がエヴィデンスをのこすことである。

8,よりよきにむかう機能の永久機関=保存の装置

展覧会の構造と取り扱いにフォーカスする。
黄金町バザールは、studio.wo が 東地雄一郎が制作した作品 を 批評の対象として取り扱ってカタチにしたもの を サイドバイサイドの作り方 として取り扱う。

この約束の分担の中で、作品・作者は、鑑賞者と間接的に約束をしているにも関わらず、その取り扱い上位に対して要求をもつことができない。
鑑賞者は事前に立ち会うことができない為、事後的解釈しかとることができない。ゆえに、鑑賞者からみえる責任分担はすべて作品にあり、その制作者にある。

作家が手に負える範囲において、よりよきものの条件(良品条件)の1つとして、永続的にその状態を保証する装置であること と考えている。この作品は、”保存” をテーマに制作されている。事後的に完成品の ”よりよき” を保証するためのエヴィデンスがその状態を保持するための装置である。

黄金町バザール2021の場合は、
無機質に、制作物を並べるだけで、その取り扱いを通して、鑑賞者と約束をすること。つまり、主催者が約束するのは、作品がその状態のままであること。約束をすること = 保証すること であり、その状態を保存すること

ここで、よりよきもの終点である、(なにかの)価値がある作品を想定した場合、永続的にその状態を保証する装置になっている作品、且つ、場所・環境・素材で位置と姿勢が保持されることでその作品に宿る意味や概念が保証される と考えることができる。

■責任と約束のお話(ご参考

9、保存範囲の外側にある世界への対処

無機質の並べられるときに隣り合うもの同士が影響を及ぼすと言われている。これを前提に批評を考えると、よりよき批評には隣り合う作品の選択が重要になってくる。文中における 引用・参照 が該当するが、選択にフォーカスするとデュシャンがいうレディメイドとリンクすることができる。
このとき、作品の選択には、選択をしない という選択もあることをわすれてはならない。

レディ・メイドの意図は以下の3点になる。
選択という行為
日常的な機能の剥奪
新しい思考の創造

10、コスースの”椅子”を引用した設計図

保存範囲の外側の話を考えるときに、作品つける説明も作品の外側だと考えている。事後的解釈においては作品は作品、説明は説明、だと認識するためである。ただし、同じ空間で隣り合う関係に説明があった場合、説明を含めて作品と認知するという解釈である。

鑑賞者は、メタとオブジェクトの一致で認知の成功体験を積み上げ、理解できるように思考した概念を構造化をする。本来なら展示室内で完結するはずのメタとオブジェクトの一致を、展示室の外側にもっていくことをコスースの作品を引用して、よりよきエヴィデンスの設計図 として展開した。

黄金町バザール2021でただ作品が無機質に並んだことで、もし黄金町街全体が展示室ならば、という想像をしてみた。

設計図

コスースの代表作である『1つと3つの椅子』は、実物の折りたたみの椅子と、その椅子の原寸大の写真、そして辞書から引いた「椅子」の説明文からなりたっている。実物の椅子は、知覚の対象としての知覚の対象としての「折り畳み椅子」(物体)と、個人の心理的象徴による「折り畳み椅子」(表象された観念)の2つに よって「椅子という記号」を形成している。一方、写真と辞書のそれは、それぞれ物体の代用物と表象された観念の代用物であって「椅子のメタ記号」といえる。そこでは椅子の形の美しさが示されるのではなく、実物の椅子とその写真、椅子を定義する言語的な記述と3つの構成要素の間の関係 を無意識のうちに読み取られる。表現したいこと、その表現単体(=物質的側面)やそのものよりも、表現に至るまでの手段、過程(観念的側面)に着目したアートである。

11、作品の ”オモテ” と ”ウラ”

作品の構成は大きく2点であり、ちょうど場所が背面同士の関係となったため、オモテとウラと表現をして説明している。オリジナルとコピーの関係性にも似ている構造だが、脱構築した言い方だとどちらもオリジナルである。

黄金町バザールに提出した作品(オモテ):よりよきエヴィデンス
展示室の外側に設置した説明文(ウラ):よりよきエヴィデンスの設計図

このとき、よりよきエヴィデンスの作品本体(オブジェクト)のほかに、よりよきエヴィデンスの写真(オブジェクトの代理物)、説明文(メタ) の3つの要素をコスースの作品(椅子)から引用した。

テキスト

12、よりよきものを追い求める姿勢と環境

ここからまとめに入っていくが、3つの問いにまとめてみた。
ここはバザールの期間が終わる前(事前)の時点は書けない内容である。
なぜならば、それを決めるのは作品の外側(鑑賞者や主催者)である為。

■提出した作品はよりよきエヴィデンスだっただろうか?
■批評できる環境は構築できたのか?
■よりよきエヴィデンスは批評に寄与できた?

この意味は、事後的にエヴィデンスの取り扱いが適切かを問われている。

13、都合よきもの と よりよきに向かうこと

もしエラーをエラーとして検出できない場合、すべてを成功のみとしか捉えられない危険性(つまり未来にフィードバックができない。)がある。このとき、よりよきエヴィデンスは、都合よきエヴィデンスに変容することで事後的解釈の上では批評でなくなる。なぜならば、自分にとって都合がよいものでもそれがよりよいものとは限らない為である。もしくは説明できないからである。

エラーを検出できな事例は、事後的解釈のみでの限界を見せてくれたと考えている。批評というのは”よりよきもの”ではなく、”よりよきへ向かう手つき” のことでプロセスにフォーカスしていると考えている。この考えだと、仮に都合よきものになってしまったとしても、よりよきものへの手つきは否定されないので批評は成立する。このことは、批評のまなざしが向けられる作品にも言えることで、批評だけが特別扱いされるものでない。

14、よりよきエヴィデンスの写真

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