見出し画像

つれづれ雑感・仕事と音楽

この夏は本当に心身にこたえる夏だった。2019年も似たような感じだったけれど、今年はそれよりひどかったこともあれば、わずかながら報われたと感じられることもあった。
凄まじい暑さとは裏腹に薄氷の上を歩むようなヒリヒリした日々だったけれど、とりあえずは大きな破綻を起こさず渡って来れたことに感謝したい。(これからまだもうひとつ仕事の大きな山場はあるけれど)

9月も半ばを過ぎた頃、演奏会のリハーサルで久しぶりに人前でソロピアノを弾く機会があった。練習半ばで仕上がりにはまだほど遠い状態ではあったけれど、技術的なこと以上に、自分の中の「音楽をする」「表現をする」機能が錆びついて上手く動いてくれないような感覚がショックだった。

パンデミック以降、有難いことに教える方の仕事は日に日に忙しくなり、それについて勉強したり考えたりする時間も増えた。正直、自分のキャパシティをオーバーするギリギリという時期も続き、とにかくパンクすることだけは避けなければならないと、仕事以外は自分の心身をなだめて休めることを最優先に過ごす日々が続いていたと思う。

私の仕事は自分より相手のペースに合わせることが最も重要で、相手の思考回路や肉体や物語に寄り添うために想像力をフル稼働する必要がある。今そこで相手に必要なものを即座に差し出し、何かを引き出さなければならない、そんなことを積み重ねる仕事だ。
そこで相手の力を引き出すために紡ぐ言葉は、ある意味で私という人間の表現でもあろう。
それはもちろん大変面白い仕事ではあるけれど、やはり消耗も大きいんです。心の資源が貧しい私にとってはね。

とまあそんな日々を送る中で、自分が音楽をするという感覚をどこかに置き忘れてきてしまったことに気がついたのが、例のリハーサルだった。
だけど本番は迫ってくる。
しかも今回はこともあろうに国内外の素晴らしい音楽家が揃うステージで何故か私のソロがトリだ。マジか。まずい。非常にまずい。
とはいえ逃げることはできない。したくない。
やるしかない。

どうですか。47歳にもなってこんな青臭い気持ちにさせてくれる音楽って本当に最高(泣)。つくづく呪われてんな、と思う。
これは本当に個人的な勝手な妄想だけれど、若い頃音楽を学んで将来を嘱望されつつも演奏から離れられる人は、元々音楽に呪われてなかったか、もしくは呪いがとけたんだな、と思う。一方でどんなに仕事や子育てや生活が大変でも、演奏の場を離れられない人もいる。または、いつかやっぱり演奏したいという想いを熾火のように心に保っている人もいる。そういう人たちは生まれつき音楽に呪われていて、未だそれが解けていない人たちなんだと思う。
どちらが幸せかはもちろん比べられない。
極端な話、どちらも幸せだし不幸だ。そう、どんな人生にも地獄があり、天国があるのだ(おっとこの人自分に酔ってきましたよ)。

というようなことをつれづれ考えながら音楽をやっているわけだが、それで結局本番はどうだったのかというと、お陰様で何とか楽しく演奏することができました。もちろん反省点やもっとやりたかったこともたくさんあったけれど、最後にはシベリウスが引っ張り上げてくれた気がする。シベリウスは偉大だ。
久しぶりに取り組んだクラリネットとの現代作品も楽しかった。また現代作品をもっともっとやりたいなと思った。
そして今回共演した2人に限らず、私はやっぱりフィンランド人の奏でる音楽が好きみたいだ。彼らの音楽の中にある風景が好きだ。それは私にとても良い影響を与えてくれる風景だ。

さて最後に1つどうでもよいこぼれ話をして締めたいと思います。

今回のソロは4曲からなる組曲を前後半に分けて2人で演奏したのですが、前半2曲を私とは親子ほど年の離れた瑞々しいピアニストが美しく奏でている間、私は舞台袖の小さな空間でぢっと手を見ながら待ってなければならなかったわけです。ちょっとした煉獄です。そこで私がどうしたかというと、2023年夏クールのTBS日曜劇場で主人公の乃木がやっていたように『F』(イマジナリーフレンド的な存在)を呼び出して会話してみました。

F「なんだお前そんなに怖いのか」
私「当たり前でしょ、本番はいつでも怖いよ。しかもこんなフレッシュで綺麗な音楽のあとに……」
F「じゃあどうすんだ?逃げんのか?」
私「そんなことできるわけないでしょ」
F「じゃあやるしかねえなあ。いいか、お前なんて元々大したことねえんだよ。誰も期待なんぞしてねえから安心しろ。人と比べんな。お前はお前の音楽をやりゃいいんだ。違うか?」
私「そうだね……うん、そうするよ」

みたいな感じです。どうですキモイでしょう。読まなければ良かったネ!

思いの外ダラダラ長文を書いてしまいました。
ではまたどこかで!






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?