小6だった僕が小説を書けなくなった夏の話

これは僕のクリエイターとしての原体験を綴った文章です。
いまはゲームクリエイターとして活動している僕ですが、創作の原体験は小説でした。
そしてこのnoteは、サクセスストーリーではなく、小説に挫折した話です。
役に立つ文章ではないかもしれませんが、あなたの心に少しでも響いたらいいなと思って書きました。
ちょっと長いので時間があるときにゆっくり読んでもらえたら嬉しいです。

エピソード1 おもちゃはワープロ

僕はワープロをおもちゃにする変な子どもだった。

僕が小学生だったのは、まだパソコンが一般家庭に普及する少し前。
1990年代の中頃から後半のこと。
我が家にはパソコンはなかったけれど、父が仕事で使うワープロがあった。

小学校の低学年の頃から、それをおもちゃにしていた記憶がある。
最初はただ、自分の打った文字が画面に映し出されたり、印刷すると本みたいな活字になって出てくるのが楽しかった。

自分が少し大人になれた気がしたんだと思う。

エピソード2 初めての小説はドラえもん

ワープロで最初に小説を書いたのは小5の頃。

僕は小さい頃から藤子・F・不二雄先生の漫画が大好きだった。
ちなみに小学生の頃の趣味は、近所の古本屋を自転車で巡って先生の漫画を買い集めることだった。
プレミアのついた高値の本も結構買っていて、お年玉のほとんどはそれに消えていた。

中でも僕はドラえもんに一番ハマっていて、毎年の映画公開を楽しみにしていた。
しかし、小5の頃のドラえもんの映画はあまり僕の好みではなかった。
今思えばそれは藤子・F・不二雄先生が亡くなる直前で、病と戦いながらの創作だったことも影響していたのかもしれない。
ちなみに先生が亡くなったのは僕が小6のときだ。

ドラえもんの映画に不満を感じた小5の僕は、なぜだかわからないがこんなことを考えた。

「僕がなんとかしなきゃ」

何の使命感なんだかさっぱりわからないが、僕はドラえもんの映画の小説を書き始めた。
漫画じゃなく小説にしたのは、絵が致命的に下手だったから。
そして、家にワープロがあったから。

僕はおもちゃだったワープロで小説を書き始めた。

小説を書き上げるのにどれくらいの時間がかかったかはよく覚えていない。
半年くらいかかったような気もする。
途中でいろいろな人に読ませたことはよく覚えている。
仲の良かった学校の友達。
母親。
遠くに住んでいる幼なじみには郵送で送った。
みんなちゃんと読んで、ちゃんと感想をくれた。
完成もしていない小説によく付き合ってくれたものだと思う。
そして、たいていは褒めてくれた。それが嬉しくて僕は書き続けた。

小説はちゃんと完成した。
と言っても、シナリオと小説の中間くらいの、中途半端なしろものだったと思う。
地の文があったりなかったり。
「だ・である」調だったり「です・ます」調だったり。
ところどころ、他のドラえもん映画からの明らかなパクリもあった。
でも、とにかく完成した。
40文字x40行をB5の紙に印刷して30ページくらいだったと思う。原稿用紙にすると120枚くらい。

いま思えば、初めての小説にドラえもんの二次創作を選んだのは大正解だった。
登場人物とその役割が決まっている。
物語のテンプレートができあがっている。
ひみつ道具を使えばどんな設定でも実現できるし、どんなトラブルでも解決できる。
普通、初めての創作は完成しない。
挫折を経験してそのまま創作の道から去っていく人も多いだろう。
ドラえもんの世界観を借りた僕は、クリエイターとして超ラッキーなスタートを切れた。

完成した小説は、コロコロコミックの編集部に送りつけた。
当時から自己顕示欲も強かったんだなぁとしみじみ思う。
「ぜひ来年の映画シナリオに使わせてほしい!」という連絡がいつ来るかと首を長くして待っていたが、ついぞ来なかった。当たり前だ。
ただ、翌年のお正月から、小学館から年賀状が届くようになった。
あの小説はちゃんと受け取ってもらえたんだ、そう思うだけで嬉しかった。

余談だが、この頃に『ドラえもん 3Dムービーメーカー』というパソコンソフトが発売された。
当時としてはかなり斬新なソフトで、ドラえもんの主要登場人物を3D空間で自由に動かしたりセリフをしゃべらせたりして自分だけのドラえもん映画を作れるというものだ。
僕が欲しがったのは言うまでもないが、その頃の我が家にパソコンなんてない。あったのはワープロだけだ。
もしこのとき我が家にあったのがパソコンだったら、僕の人生はだいぶ違うものになっていたんじゃないかと思う。
これは、「そうだったらよかったのに」という意味じゃない。
このまま続きを読んでもらえればわかると思うが、僕は自分が歩んできた人生をかなり気に入っている。

エピソード3 次の小説はRPG

さて、小学生の僕に話を戻そう。
ドラえもんの小説を完成させて創作熱が高まった僕が次に目をつけたのは、ゲームだった。

我が家はゲームの解禁が遅くて、友達がスーファミでドラクエだFFだクロノトリガーだと遊びまくっていた時期に、まったくゲームができなかった。
せいぜい友達の家でマリオとかを遊ばせてもらう程度。
だから僕にはスーファミでRPGを遊んだ経験がまったくない。
後にゲーム会社に就職したとき、これには結構困った。他の人に比べて知識量が全然足りないのだ(就職先がスクウェア・エニックスだったせいもある。非国民のような扱いを受けた)。

僕が小6のときに、ようやく我が家でゲームが解禁されて、プレステがやってきた。
最初にプレイしたソフトが『アーク・ザ・ラッド2』で、これが人生初のRPG。
めちゃくちゃハマった。
僕がそれまでに楽しんできた物語メディアといえば漫画か映画がほとんど。
RPGにはそれらとはまったく異なる魅力があった。
何十時間もかけて語られる重厚なストーリー。たくさんの登場人物。能動的に見つけ出すエピソード。隠された謎。
こんな面白いものがこの世にあるのか、と思うくらいに夢中になった。

『アーク・ザ・ラッド2』を7割くらい進めたところで、僕はある事実を知る。
このシリーズは2で完結、3が出ない※ということ。
(※実は数年後にちゃっかり発売されるのだが、このときの僕は知る由もない)

これを知ったときに、こんなことを思った。

「僕がなんとかしなきゃ」

また出てきた謎の使命感である。
僕はワープロに向かい、『アーク・ザ・ラッド3』の小説を勝手に書き始めた。
小6の春だったと記憶している。

ドラえもんの小説のときとは少し執筆スタイルを変えた。
今回は「書いた分を毎日友達に見せる」という方法を取った。
前日に書いた分を印刷し、翌日に学校に持っていく。
朝、それを仲の良い友達に見せる。
最初は友達2人くらいにしか見せていなかったが、徐々に読んでくれる人が増え、最終的には5人くらいが回し読みしてくれていたと思う。
目の前でそうやって読んでくれること、読んだ後に感想をくれることが嬉しくて、本当に嬉しくて、僕は毎日毎日小説を書いては学校に持っていき続けた。

ドラえもんのときよりも良い意味で自由度が高く、僕は身の回りのすべてをその小説に注ぎ込んだ。
というかパクりまくった。
本家の『アーク・ザ・ラッド2』からはもちろん、他のゲーム、漫画、映画、自分が面白いと思ったものはとにかく何でもパクって入れた。
物語序盤でピンチになるシーンは、追手に追われて逃げ場がなくなった主人公が機転をきかせて橋の上から電車に飛び乗り難を逃れるという、FF7そのまんまのシーンだった。
藤子・F・不二雄先生へのリスペクトももちろん忘れておらず、ドラえもんはもちろんモジャ公のエピソードなんかいくつもパクった。
(モジャ公は子供向けアニメの印象が強いと思うけれど、原作漫画はSFとブラックユーモア満載で超面白いからぜひ読んでほしい)
登場人物に友達の名前をつけるのはお約束。
友達の妹なんかも登場させて怒られたりもした。

連載漫画家気取りだったのか、自分で執筆ノルマも課した。
「1日最低1ページ、一週間で10ページ」というものだ。
ここでいう1ページというのは、先にも述べた40字x40行のB5の紙。
なので原稿用紙で毎日最低4枚、一週間で原稿用紙40枚という量。
今やれと言われてもたぶん不可能なくらいのノルマだ。
僕はこれを一度も落とさなかった。

累計のページ数が50を超えたときには、読者への感謝と今後の展開を書いた特設ページのようなものも作った。
100ページを超えたときには、記念に10ページくらいの短編小説も書いた。いつものノルマと同時進行だったからこれはなかなかキツかった。でもいい思い出だ。
とにかく書くのが楽しかった。
毎日家に帰ると一刻も早く宿題を終わらせた。そうすればワープロの前に行けたから。
月曜日に学校に行くのが楽しみだった。週末に書き溜めた分を読んでほしかったから。

エピソード4 小説を書けなくなった夏

ようやくこのnoteのタイトルの話。

一週間に10ページのペースで書き続けて、たしか120ページくらいまでいったと思う。
一度もノルマを破ることはなかったから、3ヵ月くらいは続けていたはず。

それが、ある夏の日を境に、パタッと書けなくなってしまった。

ここまで読んだ人には理由が簡単に想像できるかもしれない。

そう、夏休みに入ったから。

本当は夏休みの間にも書きまくるつもりだった。
夏休み明けに、何十ページもの新しい原稿を友達に見てもらうつもりだった。
単純計算でも50ページは書けるはずだった。
時間があるからもっと書ける可能性もある。
もしかしたら完結させられるかもしれない。
そんな風にだって思っていた。

でも、夏休みの僕はまったく書けなかった。

だって、夏休みには学校がないから。

書いたものを読んでもらえないから。
感想をもらえないから。

たったそれだけの理由で、あれだけストイックだった僕は、まったく小説を書けなくなってしまった。

夏休みの最初の頃は、なんとか書こうともがいていた記憶がある。
でも、全然指が進まない。
書いたものが、面白いのかわからない。
なんのために書いているのか、わからない。
書いていても、楽しくない。

最終的には、132ページくらいで力尽きた。
回収される宛のない伏線だらけで物語は放置された。
こうして、僕の二番目の小説は未完で終わった。

エピローグ

実は、あの小説が僕の人生を大いに変えることになる。

結局未完で終わったけれど、僕はあの小説を面白いと思っていたし、『アーク・ザ・ラッド3』として世に出したいと思っていた。
そのためには、小説のままじゃダメだ。
なんとかしてあの小説をゲームにしたい。

そんなときに存在を知ったのが『RPGツクール』だった。
説明は不要かもしれないが、専門知識がなくても誰でもRPGを作れるという魔法のようなゲームソフトだ。
しかも、それまではパソコンとスーファミでしか発売されていなかったこのシリーズが、初めてプレステに登場するという。
運命だ。
プレステ初の『RPGツクール』が発売されたのは、その年の秋。
僕が飛びついたのは言うまでもない。

今度はワープロではなくRPGツクールを使って、僕はまた創作活動にのめり込む。
あの小説はあまりに大作すぎて(それにパクリが多すぎて)結局作れなかったけれど、僕はそれからたくさんのゲームを作ることになる。
まずは周囲の友達を喜ばせたくて。
次はコンテストで認められたくて。
次はインターネットで公開して、知らない人にも遊んでもらいたくて。

気付けばそんなことを21歳まで続けていた。
就職活動の時期になると、ゲーム作りならずっと続けられる・続けたいと確信して、迷わずゲーム会社に就職した。
そうしたら、何百万人もの人に遊んでもらえるゲーム開発に参加したり、ゲームクリエイターとして独立したり、ついには自分のゲーム会社を作るようになったりして、今に至る。

あの夏から20年が経ったけれど、僕の原動力はずっと変わっていない。

僕が作ったものを、誰かに見て欲しい。
褒めてほしい。
そして、楽しんで欲しい。

小6だった僕が小説を書けなくなったあの夏。
僕の人生は、もう決まっていたのかもしれない。

おわり

最後まで読んでくださりありがとうございました。
もしこの文章を気に入っていただけたなら、
なにかの反応をもらえたらとても嬉しいです。
RTでもシェアでもスキでもフォローでも、やりやすいもので構いません。
あなたの反応のために、僕はいつも何かを作って生きています。

山田裕希@_yhiroki

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

サポートいただいた分は、他の方のnote購入/サポート費用にすべて使わせていただきます。

これが嬉しくてずっとクリエイターをしています。ありがとうございます!
52

週刊ふんどしパレード

狂ったゲーム会社『ふんどしパレード』の代表の2人がそれぞれの視点で記事を投稿するマガジンです。 スマホゲーム『君の目的はボクを殺すこと』シリーズの裏話を中心に、ゲーム・アプリ・サービス・UI/UXのことまで内容はさまざま。 『君の目的はボクを殺すこと』シリーズは全世界300...
3つのマガジンに含まれています
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。