見出し画像

転職が活性化したときに必要な会社設計

 こんばんは、先週の引っ越しで2度目の東京都民になりました、いづつです。また思うところを書いてみます。今回はニュース記事が起点です。

 経団連会長が、ついに終身雇用システムがもう続かないと認めました。というか終身雇用システムは特殊な条件でのみ成り立つ例外的なものなので、これがいつまでも続けられると思うほうがおかしいのですけど。

 終身雇用は企業の成長が確実に約束されている場合にのみ成り立つ特殊なシステムです。現実にそんなことあり得ないのですが、昭和の日本の成長期はその当たり前を見失わせるレベルの狂った勢いがあったため、努力と相関しない成功が体験として根付いており、成立していました。そういう例外的な環境下、程度はともかく、給料が毎年無条件にも上がっていく年功序列制、長く勤めるほど上がる退職金、結婚やマイホーム購入を推奨する福利厚生の数々といった過剰待遇が社内制度として完成されてきました。ここまで好条件が揃うと定年まで1社に留まる十分な理由になってしまい、転職なんてしようものなら人間関係に問題があったに違いないと推測され、キャリアに傷がつく行為になってしまいました。

 しかしこれ、平成育ちの私から見るとさっぱり意味がわからない。この30年間に日産自動車が傾き、日本航空が傾き、ソニーが傾き、シャープが傾きました。これらとはあまり関係ありませんでしたが、私の親もリストラで収入を失いました。成長が約束される企業なんて妄信です。

 多くの人が言葉にしないまでも勘づいてきたとおりではあるものの、傘下の企業はもちろん、同様の仕組みで運営してきた会社はこうやって上の意向がない限り動き出すことすらしないわけで、対策など一切考えていないことでしょう。既に10-20年くらいの周回遅れではあるのですが、一刻も早く手を打つに越したことはありません。ということで、いったい具体的にどうすればいいのかという以下の話を書きます。

1. 性悪説から性善説への転換と、成果主義の導入

2. 文書で仕事をさせる

3. 教育をやめる

4. 労働組合の必須加入をやめる

大事な順になっています。それでは、いってみましょう。


1. 性悪説から性善説への転換と、成果主義の導入

 ひとつの企業に長く居続けるほど得な仕組みの筆頭として年功序列の給料システムがありますね。この仕組みは既に破綻しているので、とっとと成果主義に改革してください。

 成果主義なんて難しそうだと思うでしょう。実際難しいです。なぜかと言うと、社長はこれまで社員を信じてこなかったからです。「従業員は放っておくと悪さをする」という性悪説で統治しようとします。部下の仕事はすべて細部まで精査し、自分の承認がなければ完成とは認めたくないでしょう。自分のイメージどおりの仕事をしているか、その過程から監視していないと不安で仕方がないのです。社長以下、部下を持つ中間管理職はすべてこういう確認や承認を主な仕事とし、基本的に部下の仕事を疑ってかからせる。こうやって成果責任を特定の少数に集中させないと、目が行き届かない。

 しかし現実には、ほとんどの仕事について中身をよく見ずに結局承認している。自分より部下のほうがいい情報を持っているし、いい判断をするので実は「従業員は放っておいたほうが良いことをしてくれる」という性善説を無自覚に認めているのです。しかし上司として自分の成果責任であるという形に加工するために、何かと難癖をつけ、本質とは関係ない部分を修正させて承認するなんて茶番はよく見る光景。本質的に成果は誰に帰属しているのかを考えれば、カリスマ経営の社長でない限り、それは末端のプレイヤーです。

 部下のほうが自分より良い判断を下せる。この現実を認めることができるか。成果主義の難しさはこの性悪説から性善説への転換に対する勇気を試されているからです。

 認めたならば、人事のあり方を根底から見直すことになります。プレイヤーに明確な責任と権限を与えて、余計な中間管理職を減らして階層を小さくしていきます。責任、権限、報酬の3つをひと組にしたメモを椅子に貼って、必要な椅子の数を決めてから、誰をどの椅子に座らせるかを選べばいい。給料に見合う役割を与えるのではなく、役割に見合う給料を与えるのです。世界ではスタンダードな方法ですが、ジョブ型の制度ですね。余った椅子があれば人を雇えばいいし、余った人がいるならば解雇していけばいい。残念ながら日本では規制が厳しいため解雇は非現実的ですから、割増退職金のような方法で促していきます。窓際を作って不毛な人間飼育を続けるとかえってパワハラ判定されてしまいますので、お金で解決してしまうほうが健全です。

2. 文書で仕事をさせる

 前述のような役割に給料を関連付ける仕組みを導入すると、事業というのは流動的なので、人に合う椅子を揃えるのではなく椅子に合う人を揃える以上、人材も流動的になる必要が出てきます。そしてそれは、人の出入りが激しくなることを意味します。

 たまに転勤くらいはあっても、基本的にひとつの会社に長く勤め続けることが普通のこれまでだと、仕事が属人的になってきます。人がいなくなるということが稀なので、わからないことがあったら「先輩に聞けばいい」という状況が簡単に成り立ちます。しかし人が頻繁に出入りするようになると「聞く人がいない」というようになる。これではいけません。

 よってこの改革によって、仕事はすべて文書ベースで進めることを強いなければいけません。計画、記録、分析、報告などはすべて文書でなければ認めないということを徹底します。これら文書は誰でもアクセスしやすい場所に保管し、検索しやすいようにキーワードを付与しておくことも同時に重要です。「聞けばいい」から「読めばいい」への転換です。

 文書自体はすでに運用しているという会社がほとんどでしょうが、それらの実態は作成者と承認者だけが理解できる、ただの「承認願い」になっていないでしょうか。誰が読み返しても理解できる内容になっていなければ、それは文書として価値のあるものになりません。よって全社的に、これまでよりも文書を書く力と読む力の高い人材が求められます。文書の読み書きを侮るなかれ。試しに高校受験レベルの国語のテストでもやってみてください。できない人があまりにも多いことに気が付くはずです。

 仕事を文書に残すことは、成果の証拠を残すことでもあります。成果主義に人事制度をシフトする以上、これは改革において効率化の域を越えた必須事項でもあるのです。

3. 教育をやめる

 事業も人材も流動的であることを前提にしていくと、社内で人材に教育を施す価値がほぼなくなります。そもそも人がある新しい分野を仕事にする場合、座学で数日勉強したところで使い物になるのは相当稀です。わざわざ講義の時間の人件費を払いながら講師の費用まで支払うくらいならば、その分野に長けた人を社外から探してくるほうが安上がりだし確実です。

 年功序列制だと、すべての従業員が年齢に比例して同等に能力向上するように育てていかなければいけないという事情がありましたが、ジョブ型に移行することでこの足枷がなくなります。

4. 労働組合の必須加入をやめる

 ここまでの改革内容で、会社側も従業員側もそれぞれ自由度が高くなった一方で、各々の責任も大きくなり、使役関係がドライになることがわかってきたはずです。その考え方の一環として、労働組合の存在価値が低下することが確実です。

 そもそも労働組合は、転職のハードルが高く会社が単独の従業員よりも強い存在だった古い時代に、多くの従業員が束になることで対抗できるよう組織化したものです。しかし転職が当たり前の時代になると、自分のことは自分で守るのが当たり前になるので組合に参加する必要がなくなります。会社としては労働条件の改定のために従業員の代表者と話をつければ済むという利便性のために組合は存在してほしいものですが、もはやそんなわがままは通用しません。組合の意向と無関係に持論を持つ人とは結局直接対話しなければいけないし、その価値観は多様化しているのでなおさらです。

 存在することのみを外部に強いられるタイプの組織は、努力しなくてもお金が自動的に集まる仕組みになっているので、役所と同じで生産性が絶望的に悪い。安くない組合費は結果的に給料を下げられたものと同じになるので、待遇の悪化と同じことです。

 よって、必要な人だけが組合をやればいい。そこにも責任と自由をセットで与えましょう。組合員が従業員の過半数に満たないならば、ただ代表者と36協定を結べばいいだけです。常日頃から従業員の不満に耳を傾けて対策を打つという本来あるべき人事部の仕事を取り戻してください。


 以上、会社改革の概要でした。荒っぽくまとめてしまうと、個人の立場は昔と違ってとても強いので、組織と個人の関係はドライになるべきということ。私の言いたいことはだいたい過去の組織論に関する記事と同じなので、もっと深く考えたい人は下のマガジンとあわせてお読みください。


最後までお読みいただきありがとうございました。いづつでした。

https://www.linkedin.com/in/yizutsu/


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?