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本当は日系企業のほうが働き方改革しやすい

 こんにちは、いづつです。久しぶりに働き方改革の話を書きました。

■改革は順調ですか

 さて、あなたの会社では働き方改革は順調ですか。聞いておいてなんですが、順調ですなんて答えはたぶんないと思います。適切な内容で改革を断行できる会社は「もうやりました」だし、遅れていてもせいぜい「経過観察中です」が答えになるからです。不適切な内容で進めている会社は言わずもがな「ぜんぜん進みません」になります。

■キーマンは会社のどこにいる

 資本主義における組織は、その資本を持つ人が権利を持つという原則。これはこれでひとつの完成形ですが、かといって常にベストとは限りません。平凡以下なトップが会社を牛耳って、瞬く間に資産を食いつぶす例はそんなに珍しいことではないですよね。

 ベストかどうかはともかく、「出資額=責任=権限」という原則に忠実なのがヨーロッパに多い会社のスタイル。会社は誰のものかと問えば、出資者だと即答されます。この思想に基づいて、わかりやすすぎるくらいのトップダウン方式で、経営陣はリスクを極力避けつつ、株主要求を満たす方針を決めていきます。

 一方で、原則の理屈はわかっちゃいるけども、現実は違うよなと考えることが多いのが日本。もちろん会社は株主のものだと言う人はいますが、同じくらい経営者のものだとか従業員のものだと言う人がいます。こうも多様な意見になるのは、「会社は誰のものか」という問いを「会社は誰がいないと成り立たないのか」という問いに変換したときに、会社ごとにキーマンがどこにいるかで変わってくるからなのでしょう。シャープは鴻海に買われなければ今頃消えている(資本重視)とか、テスラはマスク氏がトップでなければ成り立たない(経営者重視)とか、アップルはアイブ氏を失ったから終わりだ(従業員重視)とか、会社によりけりです。(この3例の実態がどうかはここでは議論しませんし、私の見解とも限りません)

 その中で、最後に挙げた従業員重視の会社の場合は、株主重視の会社とは真逆でボトムアップ方式で運営される例がほとんど。トップはアイデアを持たず、出さず、従業員から上がってきた案を実行するかどうか決めるだけ。究極形がすでに有名ワードになったティール組織で、この場合はそもそも階層がないので、決定権は全従業員が持ちます。
 
■トップダウンとボトムアップ

 トップダウン、ボトムアップはそれぞれ一長一短。トップダウンはその統治思想が極めてクリアな独裁政治のようなもの。社内の予算バランスは少人数の判断で決定され少々先までの収益予測も立てやすいのですが、実現のためには管理部門が肝要なのでマネジメントコストが高くつきがちです。

 一方のボトムアップは民主主義のため、現場の自由度が高く新規かつアクティブな活動が起きやすい。反面、主張がバラバラとひっきりなしに発生するので会社全体のバランス最適化は事実上不可能で現場のオペレーションコストが高く付きます。

 本田宗一郎、スティーブ・ジョブズ、孫正義のような常軌を逸するセンスがあるカリスマトップであればそれだけで差別化ができるので独裁トップダウンが強いのは当然。では特にとりえのない平凡な人がトップだった場合にどちらのほうが業績が良いか。答えはティール組織の成功が示していて、ボトムアップです。極めて雑なカテゴライズであることを承知の上でいうと外資大企業によるトップダウンと日系大企業によるボトムアップという対比ができるのですが、ご存じのように日系は外資に押されています。どうしてボトムアップなのに負けてしまうのか。

 トップダウンとボトムアップのことは下の過去の投稿でもっとたくさん語っています。

■日経大企業はトップダウンになりたがりなボトムアップ

 残念なことに、日系大企業の実態はボトムアップが完全なものになっておらず、とても中途半端なのです。最も入れ替えが利かないキーパーソンは末端プレイヤーの中にいるし、その人たちにおんぶにだっこ状態なのですが、一度権力を得た中間管理職たちは立場を守りたいので、就業や評価のルールはトップダウン構造で作り、それを死守します。実態がボトムアップなのに、仕組みがトップダウンなおかげで、「どうせ承認するのに、それを待つ」「意味はないけど、会議に出る」などの社内の様々な無駄が生じてコストが膨れ上がり、結果的に純粋なトップダウン構造に劣るというわけ。売上総額は大きいのに、利益率が抜群に低いのはよく知られているとおり。

 しかし、どんな業態であってもボトムアップの究極形であるティール組織を目指せというのは、やりすぎです。人の命に係わるような事業がある場合には、特にです。小さな現場判断が大事故につながったり、公害を引き起こしたりするのが想定される場合、その判断者や行動者の責任にするわけにはいかないので、従業員の自主性や自由度を極限まで小さくして、ロボットのように一定の動きに専念させるべき局面がとても多い。よって鉱山開発や製造業のような死亡事故と隣り合わせのような現場は、ボトムアップには向いていません

 日本の高度成長期を支えてきた名だたる製造業たちが今の大企業に多く、当時トップダウン構造の就業ルールが作られ、ぴったりはまっていました。しかし現在ほとんどの製造業はその製造拠点を海外へ移していき、日本法人としては営業や設計などの自主性を必要とする仕事が中心になっています。自主性を重視するためには実質的にボトムアップでないと成り立たないのですが、組織設計だけはトップダウン構造のままで変わっていないので、そこで摩擦が増えてきたという経緯です。

 いま盛んに言われている働き方改革は、自主性で働くべき従業員たちに、裁量、すなわち自由と責任を同時に与えることで制約を取り払っていきましょうというもの。なかなかそれが進まないのは、トップダウン構造の原則を変えないからです。基本構造を変えないまま特定の従業員に裁量を与えるには、例外事項を作って運用しなければいけませんが、トップダウン構造のまま例外事項を増やすような修正を繰り返すと、管理項目がどんどん増えて人事部の残業が一番多いみたいな話になってしまいます。いっそのこと自主性が必要な働き方がよい従業員の集合にはボトムアップ構造の原則を新規作成して、それで運用するのが低コスト。トップダウンの性悪説ルールと、ボトムアップの性善説ルール、原則が1社に2つあって使い分けても良いではないですか。

■外資大企業は構造も実態もガチガチなトップダウン

 一方で、同じような改革を外資企業でやろうとすると、極めて難易度が高くなります。日本人と違ってマネジメントを学問としてきちんと勉強してきた外国の中間管理職はまともに働いているため、トップダウン原則がしっかり機能してしまっていています。実体が構造にきちんとついてきているので、ここに起因する摩擦があまりありません

 ジョブ制という呼び名が一般的ですが、個々の責任範囲が明確なので平凡な従業員をエンゲージすることはできるのですが、弊害として責任範囲外の仕事は一切やらないようなドライな人が多いのが問題。本来自主性が求められる営業や開発ですら、言われたことだけやるような人たちが散見される有様。末端従業員の仕事に対する自主性や共同体意識という点では、日系企業に実は大きく見劣りします。この状態に、いきなりボトムアップの性善説ルールを投入しようものなら、あまりの統治スタイルギャップで混乱が生じるのは必至です。外資企業は成果主義が確立しているとは言っても、だからこそとも言えますが、なんだかんだ上司なしには仕事ができません。

■日系企業のほうが働き方改革のハードルが低い

 比べてみると、建前はともかく実態がすでにボトムアップの日系企業のほうが働き方改革がやりやすいのです。あとは建前、すなわちトップダウン構造を支えている形だけの管理職たちを抜き取るだけ。その際、ボトムアップ性善説を取り入れるべき場所を丁寧に選択することを忘れないように。一気に全社に適用すると、やりすぎになる恐れがあります。

 自動車部品という極めて品質にうるさい製造業でもティール組織が成立しているFAVIみたいな会社はあるのですけど、いきなりこれを目指すのは飛躍しすぎかなと思います。FAVIもティール組織へ移行する時に管理職から猛反発を受けたそうですし。

■ルールを2つ作りたくないなら

 1つの会社の中で複数のルールを作りたくないという頑固な人事部長がいることもあるでしょう。その場合は自主性で働く人たちの業務をすべて外注するという手があります。営業代行や開発委託をビジネスにしている企業だってあるし、個人のフリーランスだっていい。各々好きなスタイルで働いてもらって、その貢献に対して対価を払えばいいのです。自社で雇うより高くつくのは当然です。自社による余計な拘束がないぶんクオリティの高い仕事をしてくれるのですから。自社だって形だけの管理職が不要になってお金が浮くので、だったらどちらがいいですかという話です。

 ではまた。


Yoshiyuki IZUTSU

https://www.linkedin.com/in/yizutsu/



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