空白の2年半

空白の2年半

先日、5月13日に2年半ぶりのトラックレースに出場した。
それ以前最後に出たのは2016年12月の日体大記録会で、ロードでは2017年1月の都道府県駅伝を最後にレースから遠ざかっていた。

この2年半、私が何をしてたか、どうしてたか、というとほぼ故障していた。

この2年半あまり思い出したくないが自分の中で整理するためにも振り返ってみたいと思う。

その前に社会人になってサンベルクスに入社するまでの経緯を少しだけ説明させてもらいたい。

青山学院大学を卒業してDeNAに入社したが度重なる故障と生活面の乱れもあり約半年で解雇。
その後は原監督にお願いして青学で練習させてもらう期間が約1年。
その期間にサンベルクスの鈴木専務、田中最高顧問(当時、総監督)からお話をいただき2016年9月にサンベルクスに入社。
そこから青学拠点で練習させてもらいサンベルクス所属として駅伝やレースに出場するというとスタイルで2017年1月まで活動していた。現監督の小川監督が来られるタイミングでサンベルクスの本社のある足立区に拠点を移した。

ここから本題に入りたい。
空白の2年半のこと。

今だから言える本音だか心の中では
『青学で練習したい』
『いつかまた原監督のところで』
青学から離れた瞬間から私の頭の中では
この2つしか考えていなかった。

そもそもこんなこと考えてて強くなるわけがないしチームとうまく行くわけがない。
今冷静に考えるとわかることだが当時は冷静に物事を考えられなかった。

小川監督は選手と年齢も近く、意思を尊重してくれる監督で私が故障しやすいことも知っていて練習メニューやトレーニングなど親身になって考えてくれたが
私は『青学でやってた練習をします』
『トレーニングも自分のメニューでします』とみんなと同じ練習をしようとしなかった。

青学の練習以外で結果を出したことがないから怖かったのだと思う。

そんなことをしていると、もちろん周りのチームメイトも『こいつなんなの?』ってなるのは当たり前で、それで結果を出していればいいけど故障の連続。チームに溶け込みにくい空気を自分から作っていってしまった。しかも当時は私だけプロ契約で仕事をしていないし、チームメイトから不満が出るのも不思議ではない。故障期間が長びくと練習にも身が入らず生活も乱れるという私の悪いところが出てしまってたと思う。


そんなこんなで気づいたら何もレースに出ることなく1年が過ぎていた。
このままではダメだとは思っていたが未だに青学で練習したいという思いは変わらなかった。練習や合宿も単独で行うという状態が続きチームメイトとの距離もさらに遠ざかっていってしまった。

そんな時
『その年11月の東日本実業団駅伝で一定の結果を出さないとチームに残れない』と言い渡さた。
むしろここまで面倒見てくれた方だと思う。もちろんクビになる気は無いし必死に頑張った。しかし9月初旬に恥骨疲労骨折という大きな故障をしてしまう。そんな状況でも鈴木専務は最後まで諦めずに取り組もうと言ってくれたが、話し合った結果私の今後の競技人生を考え治療に専念させていただくことになった、すなわちチームに残る条件を満たすことができなくなりサンベルクスを退職することとなった。

2年間サンベルクスに在籍したが大した成績も残せなかったし、わがままも言っていた私を最後の最後まで気にかけてくれた鈴木専務には感謝しかない。

一瞬引退という言葉も頭によぎったが、まだやりきれていない、まだ走りたいという思いと、陸上を始めた時からの「マラソンで世界大会に出場する」という夢を諦めきれずに、競技を続けることを決意した。

最初に始めたのは、活動をご支援してくださるスポンサー企業を見つけることからだった。しかし、大した実績もないし、そもそも約2年間レースに出場することさえできていない、そんな私がスポンサー企業を見つけることは当然だが簡単ではなかった。但し、競技を続けると決めたからには、その環境を整えることも諦めてはいけない、そんな思いでスポンサー企業を見つける活動を続けた。そんな思いで動いていたなかで、現在の所属先である滋賀ユナイテッドと繋がることができ、ご支援して頂けることになった。本当に感謝しているし、これから結果や、今一緒に進めているプロジェクトを成功させたいと思っている。

故障が完治してからは、青学時代のチームメートでもある神野が行うケニア合宿やエチオピア合宿に参加させてもらい、世界のトップレベルの選手達と一緒にトレーニングをしたり、交流したりと、新たな、そして貴重な経験をさせてもらっている。本当にチーム神野のメンバーには感謝している。

そして5月13日
約2年半ぶりのレースに出場。
結果はともあれレースに出れたことは嬉しかったし楽しかった。


この2年間を振り返ってみて、
・過去の自分に囚われていたこと
(置かれた環境で結果を残すための努力ができなかった)
・小さなプライドを捨てきれなかった
(自分のやり方に固執して、周囲の意見に耳を傾けられなかった)
・危機感の欠如
(結果を出せていないのに、当時の環境のまま競技を続けることができるだろうという甘え)

ざっくりこの3つが走れなかった理由だと思う。

こんな私が言える立場ではないが、実績があるのに故障や結果を出せずに悩んでいる選手。先輩であれ後輩であれ伝えたい。
過去の結果は過去の栄光。今の自分の立ち位置を見つめ直した方がいい。私はちっぽけなプライドを貫いたせいでチームでも孤立した上に結果も出せなかった。

プライドを持つことも大事だと思う。
私も今でも、周囲から何を言われても「自分の夢や立てた目標」に対してはプライドを持っている。但し、それを達成するための取り組みに対しては、過去の自分や自分の感情だけに捉われずに、周囲の意見を聞き入れたり、自分を客観視することも大切だと感じている。

まだプロになって結果を残せていない。
これからまた故障をすることもあるかもしれないしどんな競技人生になるかもわからないが
これまで13年間陸上をしてきて今が一番楽しいし充実している。
それは、自分で考えて競技に向き合っているからだし、いろんな人の支えを感じられるようになったからこそだと思う。
あと何年走れるかわからないが、その気持ちを忘れずに走りたい。
そして、必ず自分が納得のいく結果、支えてくれる人が喜んでくれる結果を残すために、努力を続けていきたいと思う。

これからも変わらぬご声援、ご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願いします。

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川崎友輝(YUKI KAWASAKI)

SHIGA UNITED RUNNING CLUB 代表兼プロランナー 練習メニューや競技に間することを発信していきます。 これまでにない競技スタイルを目指して活動中。

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