ティーンエイジ・ファンクラブが好きな女の子の話

 随分と前の話。

 ある春のことだ。
 職場に、新しい派遣職員の女性が入った。
 まだ、女の子、と言ってもいいのかもしれない。
 そんな雰囲気の、若い女性だった。
 スラッと背が高く、鼻筋がスーッと通っていて、長い黒髪が印象的で。
 新入職員としてみんなの前で挨拶をする彼女を見て、きれいなひとだな、と。僕は素直に、そう思った。

 彼女と僕は、部署が全く違うこともあり、会話はおろか、挨拶を交わすこともなかった。
 若手のスタッフが「たまにはみんなで飲みに行きましょうよ!」と声をかけてくれ、部署を超えてワイワイと飲む機会もあった。彼女は、そんな飲み会には顔を出していたみたいだった。
 僕はといえば、少なくとも当時は、何事も仕事優先のつまらない男だったので、そんな飲み会には一度も顔を出すこともなく、やがて誘われもしなくなった。

 そうして、彼女とは、何の接点もなく数ヶ月が過ぎていった。

 ある夏の日、職場全体の暑気払いがあった。
 これは毎年恒例の行事で、基本的にスタッフは全員参加で。部署を超えた親睦を深めるため、見知った人だけで固まらないよう、くじ引きで席を決めるような配慮がなされていた。

 そして僕は彼女と、隣どうしになった。

 はっきり言って何も話すことがないので、仕事の話ばかりしていた。最近そちらはどうですか、とか、いつもお忙しそうですね、とか、なんとか。
 そうして、そろそろ話題もつきかけてきた頃、よほど話すことがなかったんだろう、彼女は不意に「好きな音楽」の話題をふってきた。

 僕は、一応、CDを全国リリースしたガチのバンドマンであり、ガチだからこそ、職場ではそのことを秘密にしていた。僕は仕事もガチでやっていたからこそ、妙な色眼鏡で見られたくなかったし、何より、「仕事の自分」と「バンドの自分」をきちんと分けておかないと、やっていけないと考えていたのだ。
 だから、その延長線で、僕は職場で「好きな音楽」の話をすることも極力避けていた。「好きな音楽」の話なんて始めてしまったら止まらないし、バンドのことについて口を滑らすかも知れない(職場の人から「趣味は?」と聞かれた時には「土日寝たきりで過ごしています」と真顔で答えていた)。とにかく、職場で音楽の話はしたくなかった。

 「音楽とかお好きですか」と控えめな彼女は、控えめにそうたずねてきた。
 僕は「いやー、最近の人の音楽はよくわからなくて…チャゲアス聴いてたくらいですかね…」と無難に返した。
 それを受けた彼女はこう言った。
 「ああ、そうなんですね…あたしは…誰もわかってくれないし…多分、ご存知ないと思うんですけど…イギリスにグラスゴーっていう街があって…そこのバンドが好きなんです」
 
 どこをどう考えても、ティーンエイジ・ファンクラブのことだと思った。

 お酒のせいだろうか、その後彼女は、案の定、ティーンエイジ・ファンクラブへの愛を饒舌に語り始めた。初めて「Bandwagonesque」を聴いて衝撃を受けたときのこと、あまりに好きだったため大学生のときにはコピー・バンドをやっていたこと、来日公演に行けなくて本当に悔しい想いをしたこと、ティーンエイジをきっかけに日本のギターポップも聴くようになり、ティーンエイジは本当に自分のルーツだということ…。

 わかる。と思った。あんたの気持ち、僕はわかる。
 僕もティーンエイジ・ファンクラブが大好きだからだ。
 もちろん「Bandwagonesque」にも相当な衝撃を受けたが、僕が一番好きなアルバムは「Songs from Northern Britain」だということ、その中でも「I Don't Want Control Of You」がずば抜けて好きだと言うこと、あなたが行けなかった来日公演、僕も行けなかったけど、友人に頼んでTシャツを買ってきてもらったこと…ティーンエイジのことを話し出したら、キリがない。
 
 僕は、このどこか物憂げなうつくしいひとと、気の済むまでティーンエイジ・ファンクラブの話をしてみたい気持ちに駆られた。猛烈にかきたてられたと言ってもよい。
 でも、結局、お酒の席であるにも関わらず、本当につまらない人間である僕は、歯を食いしばって、自分のマイ・ルールを貫いた。

 「へえ…そういうバンドがいるんですね。機会があったら、聴いてみますね」

 こうして、僕と彼女の短い会話は終わった。
 それから、僕と彼女には、なんの接点もできることはなかった。
 
 僕は誰もいないオフィスで、たったひとりで残業するときだけは、小さな音で音楽をかけていいと、自分で決めていた。そのささやかなBGMにティーンエイジ・ファンクラブを選ぶことが、なんとなく増えた。
 後は何も変わらず、僕は黙々と働き続けた。昼も夜も、土曜も日曜も厭わず、とにかく働いた。
 そうやって季節は過ぎていった。

 次の春がやってきた頃、彼女が結婚して退職する、という話を人づてに聞いた。
 職場で出会い、付き合い、結婚が決まる。これが1年の間に起きた。実にスピーディかつ、健全だと思った。男女交際のかがみのような出来事だ。
 相手は同じ職場の同僚で、趣味は山登りにフットサル、マラソン、といったスポーツマンで、笑顔の印象的な男性だった。もちろん彼の人生には、ギターポップのギの字もない。
 「彼女を射止めた勝因は…まあ、ガツガツ行き過ぎなかったことですかね…」
 あんなにきれいな人と結婚するのだ。彼の言葉の端々からは、喜びがはみ出していた。

 こうして彼女は、ギターポップのギの字もない男性と結ばれ、遠くの街へ去っていった(彼が転勤で地元へ戻っていったのだ)。
 本当のところ、恋愛には、結婚には、ギターポップのギの字も必要ないのだ。

 あの時、「僕もティーンエイジ・ファンクラブ大好きなんです」と打ち明けていたら、どうなっていただろう。
 勿論、どうもなっていなかったと思う。
 「はあ、そうですか」で話は終わっていたと思う。

 それでも僕は、ティーンエイジ・ファンクラブを聴くと、いまだに、時折、遠くへお嫁に行った彼女のことを思い出す。
 特に、こんな初夏の夜には。

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