四月の僕らは嘘がつけない

[chapter:1 一回目のエイプリル・フール]
“アンジェラさん”は、いつも優しい。
 どんな人にも笑顔で対応するし、分かりやすい言葉で、落ち着いた口調で話す。
 服装も華美でなく、落ち着いていて、誰の目にも優しい色だ。
 困っている人がいればそっと手助けしたり、悲しんでいる人がいれば慰めることだってする。
 僕の働いているカフェ「アマリラ」は、とあるレコーディングスタジオの1階にある。4階建てのビルで、ほかにもタイ料理店やバレエ教室、声優事務所「スターライト・エンタープライズ」なんかが入っている。カフェの常連には、有名な声優もいるのだ。読み合わせをしたり、朝食を食べたり、休憩所代わりにしていたりしている。アンジェラさんもその一人だ。彼女はその名前で活動している。本名は知らない。一介のウェイターである僕が、知る筈もない。
「京野さん」
 彼女の透き通った美しい声が僕の名を呼んだ。それだけで、脳天を駆け抜けるような快感を感じた。ラジオ越しなんかより、ずっと素敵だ。
「ホットコーヒー、おかわりお願いしていいですか」
「分かりました」
「ありがとうございます」
「えー、じゃケッコンする気ないのー」
 きょうも、近所の子供の相手をしてあげていた。
 アンジェラさんは、子供のファンたちにも真摯に対応するのだ。だが子供の、容赦のない質問に、いつもとても戸惑っている。
 ――けど、彼女にだってきっと、ああいう時期がきっとあったのだろう。僕にもあったように。その時期の彼女を知らないのが、とても悔しい――いや、やめよう。これじゃあ、ストーカーだ。僕は決してストーカーではない。確かに彼女のいる事務所が近いから、このカフェで仕事をしているけど――
「ファンのみんなが大好きだし、作品が子供みたいなものだからねえ」
 彼女にコーヒーを持って行くと、女の子が言った。
「ね、京野さんは? イケメンだし、気が利くし、年も近いでしょ」
「へっ?」急に僕の名前が挙がり、まんざらでもなかったので、ドキリとしてしまった。
「ね、京野さん、アンジェラちゃんとケッコンする?」
「え――ええ、そうなったらとても嬉しいですけど…。」
「まぁ、そんな…。京野さんみたいな方は、とても私なんかじゃ…」
 出た――大人の「茶番」。
 だけど、大人は、相手を傷つけてはならない。
 もしかしたら、アンジェラさんは、同性愛者かもしれないし、何か大きな欠陥があるのかもしれない。
 だけど、それを受け入れてくれる人ばかりではない。だから、そのことに触れず、なおかつ相手を立てるために、「大人」は優しい振りをする。
 そして、社会は、平和を保っているのだ。
「するの、しないの、どっちなの?」
「オトナってどうしていつも、言葉を濁すんですかね」
「オトナだからだろ」
 子供たちが口々に言う。
 思いやりを、持っているからだよ――。
 子供は、みんな弱者だし、差と言っても大差はないから、まだ本音で語り合える。
 しかし大人になるにつれ、格差が増し、同じように話すだけで相手を傷つけたり、傷ついたりしていくことになるのだ――。
「あ、そだ、アンジェラちゃんの本名って何ていうの? あたしは坂井典子!」
「僕は高橋孝太郎です」
「あたしは中村利奈だよ。おねえさんは?」
「んー、内緒」
「えーなんでー! みんな自己紹介したのにー」
「名乗らないなんて失礼だー」
「じゃあ…耳貸して」
 アンジェラさんが、子供たちの耳元でじぶんの名前をささやく。
「えっ!? 龍之介…!?」
 内緒話にした甲斐なく、女の子が大声で叫んだ。
「まさか…アンジェラちゃんって…」
「元男…!?」
「ああ、そうなんだ…。みんなには内緒にしてくれよ…」
「そっか…なんか悪かったな、無理矢理聞いたりして」
「うん、あたし達ぜったい、言わないから!」
「大丈夫ですよ!」
 アンジェラさんが元男だろうと、僕は大丈夫だ。この感情に偽りはない。
「ありがとう…」
 と、そこまで神妙にしていたアンジェラさんの声が、とたんに明るくなった。
「なーんてね! ウソだよ! 今日は何の日か知ってる?」
「え? あっ!」
 エイプリル・フールかぁ~!
 子供たちが口をそろえて叫んだ。
「エイプリル・フールでした~!」
「だ、騙されたぁ~」
「もう、アンジェラちゃんは人が悪いなぁ~」
 皆が笑っていると、近くの教会から6時を告げる鐘が鳴った。
「あっ大変だ、もう6時だよ」
「あっやば、田中さんに怒られる。みんな行こ!」
「5名で1642円です」
「じゃーね、アンジェラちゃん! 今夜のゲキレンジャーも観るからね~!」
「ありがと~」
 騒がしい子供たちが居なくなると、店内はしんと静かになった。午後6時にこれだけ人が少ないのも、この喫茶店のケーキがあまり美味しくないことが理由なのだが…。
 僕とアンジェラさんはふと目を合わせ、「やれやれ」といった顔をお互いに示した。
「私も、お会計、お願いします」
「コーヒー2杯で、650円です」
 彼女はお金を千円札で支払って、僕はいつものようにお釣りを手渡した。
「ありがとうございました」
 僕が言ったその時、彼女が何か言った。
「――です」
「――え?」
「私の名前――"佐倉香織"です。いつも、『京野さん』って呼んでいるのに、なんだか不公平だから…」
「――あ、そんな、気になさらなくて、いいのに。あっ、僕は…京野修治と言います…ってどうでも良かったですね」
「――こちらこそ――忘れて下さいね」
「すてきなお名前ですね…香織さん…」
「修治さんも…美しい響きです」
 アンジェラさん――"香織"さんは、悪戯っぽく微笑んでから、店を後にした。
 ――いつもは、あんな風に笑わないのに。
 もしかして、今日が、エイプリル・フールだから…?
「香織――さん」
 名前を呟いただけで、胸が締めつけられる。彼女が居るだけで、それだけで僕の心は――全てを忘れてしまう。けど、僕はただのウェイターだ。この恋は、きっと叶うわけない。それでも、きょうは、エイプリル・フールだから。少しくらい、ばかになっても、いいよな…?[newpage]

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