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本を読むための道のり。

社会人になって感じた些細なこと、
『本が遠くなったということ』
ということがあります。

単純に読む時間がないとかではなくて、
近くに図書館がないということ

区立の図書館はあるが、
常に、専門分野の本が揃ってるわけではない。

それに比べて大学の図書館は、専門書がたくさんあって+αで文学やら、何やらを置いてある
不思議な空間であった。

社会人になるとそんな面白い図書館が使えなくなった。

中学生や高校生のとき、たまに行っていた都立広尾図書館に足を運ぶ機会が多くなった。

実際、家からは一時間もしないでいけるのにあの場所に行くのは遠い道のりな気がしてしまう。

なぜだろうか。

それは、あの図書館の不思議な環境によるものだと思う。

駅から歩いて5分くらい。
広尾には大使館がたくさんある。
なので外国人がたくさんいて、オープンカフェでお茶をしている人たちがたくさんいる。
どこか海外の観光地へ来たような気分になる。
そして大きな公園を通る。
近いけど坂を登らなくてはいけない。
その坂道は森の中を散策したような気分になる。

その場所は以前大名のお屋敷で、現在は公園として整備されていて緑が深い。
そのため図書館に行くために緑を超えて行くことになる。

図書館までの道のりが体感長く感じるのは、この道を通るからだと思う。
異世界に入り込む経験といいますか、街の喧騒から一瞬離れる経験といいますか、
知らず知らずに環境が、そのような体験を演出しているのです。

これは茶室のにじり口をくぐるよう。
身を低くして、茶室に入ることで、社会の身分から離れて一人の人間として茶に向き合う。

日常生活から離れて、本の森に向かう。
何だかいつもとは違った心で、文字を終えるのもそのせいかしら。

集中力や忍耐力、足りないのは人間のせいされてしまうけれど、
東京のような情報が流れ出てくる渦の中で過去の土地との歪みにできた
場所の力を借りることで、百の努力で乗り越えずとも、
人が本来持っている知性を見出せる気がするのです。

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