見出し画像

「優しい人」でいるのは、ちょっとやめました。

「優しいね」って、基本的には褒め言葉としてみんな使っていると思うし、

私も「優しいね」って言われたら「ありがとう」って返す。

褒めてもらっていると感じるから。

でもなんだか最近「優しいね」って言われることに窮屈さを感じる場面があって、なんでかなって考えてみた。

「優しい」というのは、裏を返せば

・臆病

・事なかれ主義

・都合よく使われる

なんていうネガティブなワードにもつながるんだと思う、きっと。

少なくとも私はどれにも当てはまっている。

上2つは、自分的には受け入れているところだから一旦置いておいて、

最近私が窮屈さを感じたのは「私、都合よく使われているんじゃないかな」って感じたから。

優しいね(だからこれくらい許してくれるでしょ)

って、言外の意味が聞き取れるように感じてしまうことが増えたから。

思い返せば確かに私は、嫌だなぁ、やめてほしいなぁ、と思うことがあっても

「いいよ〜わかった〜」と言って流したり、受け入れてしまうことばかりだった。

そこで「いや、本当はこうしてほしいの」と言うのは

正直面倒だし、エネルギーを使うし、人に意見をするのはなんだか得意ではなくて。

でもそれが結局「優しいね(だからこれくらい許してくれるでしょ)」に帰結してしまうのだ。

あれ、結構これしんどいな、私にだったら何してもいいって思われてるんじゃ、、と気づいて、

いかんいかん、それじゃ自分が苦しくなるぞ、と気づいた私。

もちろん相手によるけれど。

だから、優しい人でいるのは、ちょっとやめました。

基本的にはやっぱり優しい人でいたいから、ちょっと、だけ、ね。

写真:韓国のカフェ。弘大(ホンデ)の泊まっていたところから徒歩圏内の。ゆったりと朝ごはんを食べました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?