飼っていた猫のこと

17歳のある日、家に帰ると段ボールの中に小さな一匹の子猫が玄関にいた。はじめて対面するわたしを、小さな体をふくらませて威嚇する。「会社の駐車場に捨てられてたのよ。里親が見つかるまで、預かろうと思って」と母親は言った。今になって思えば、母親は最初から飼うつもりだったのかもしれない。

里親募集などしないまま、その子猫は大きくなった。片手に乗るほどの小さな体は、成猫のそれへと成長する。貰い手を探さないのかと訊けば、「大きくなっちゃったから、もう貰ってくれないわ」と母親は言う。

昔、両親は結婚する前にアパートで猫を飼っていたという。名前は五右衛門。渋い。五右衛門はいつしか二人の前から姿を消した。猫が姿を眩ますときは、死期が近いときだという。

わたしの家にやってきた子猫は黒猫だったので、ジジと名付けられた。安易である。ジジはお風呂場が好きだった。お風呂のふたに乗ったり、水を飲んだり、脱衣所の高い棚に上り降りられず家族を呼びつけたりした。

わたしの家族は特別仲が良くもなく、かといって悪くもなく、ギスギスしたとしても猫の一挙手一投足で会話が増え、自然と仲直りをすることもあった。家族の潤滑油のような存在だった。

大学時代は実家を離れてはいたものの、同じ県内にはいたので、両親より猫に会うために実家に帰っていた。もはや猫というより黒豹みたいでかっこいい。美しい毛艶。美味しいご飯を食べているのだろう。家族ヒエラルキーの頂点。いつも撫でさせていただき、抱っこさせていただいた。数年後に気付くことだけれど、わたしはどうやら猫アレルギーだったらしい。そういえば目が充血していたり、喉がかゆくて死にそうだった。

就職して数年後、わたしは東京に異動することになった。当時、わたしは社内不倫のとばっちりを受けていて、それを逆手に取って社長に東京に行きたいと直談判した。すんなり東京行きが決まり、ひとつ懸念があるとすれば猫に会えないことだけだった。

東京に行ってしばらくして猫は歯周病になった。人間の歯周病はそれほどでもないイメージがあるけれど、猫のそれはひどくなるとえさも食べられなかった。最後は月に1回以上の点滴を受けていた。

2018年3月はひどく仕事が忙しかった。でも、猫の声が聴きたくて母親に毎日電話をしていた。猫は何も話さないけど呼びかければ「にゃーん」と返事をする。ぐるぐると喉を鳴らす。生きている。幸せだ。ある日、「もう厳しいかもしれない」と母親は言った。わたしはどうしても有休がとれず、でもなるべく早く帰りたいと思っていた。どうにか調整して4月上旬に休みがとれそうで、まさに有休を申請しようとしたその日の深夜に電話が鳴った。午前2時ごろだった。

母親は深夜に電話をしてくるような人ではないから、覚悟した。意外と冷静な気持ちで通話ボタンを押した。

「ジジちゃんが…死んじゃった…」

と母親は今にも消えそうな声でわたしにそう伝えた。電話越しに堰を切ったように泣き出す母親を、わたしはどう慰めていいかわからなかった。

わたしは母親が泣いたのを見たのは二度目だった。一度目は飼っていた犬が亡くなったとき。そして、今回。自分の母親の葬儀ですら泣かなかった母親が。猫が亡くなってしまった衝撃と、あんなに強い母親が泣いているショックで、わたしは変に饒舌になり励ました。

電話を切ったら、涙が止まらなかった。眠れないまま朝を迎えた。

肌が触れ合えば触れ合うほど、面積の分だけかなしくなるのは何も人間だけのことではないらしい。もう一度会えたなら「うちの子になってくれてありがとう」って言わせてね。

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シェアされると私が泣いて喜ぶ上にあなたの願いが叶います
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ユカ

某広告代理店のコピーライター兼プランナー。日々の記録。長い文章を書くリハビリです。evernoteに残していたメモがベース。記憶に自信がないので結果的に少し脚色しています。愛されることを生業としたい。
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