お豆腐一丁

20180212

お豆腐の一丁という大きさが三十路手前の大人になった今でもよくわからない。わたしが物心ついたときには、お豆腐とはスーパーでパック詰めになっているものであって、プーピーとラッパを鳴らしてお豆腐を売り歩く商売があることは知っていても、それは自分の現実の暮らしからかけ離れた存在だった。
だからお豆腐一丁という単位は、さつまいも一本のように、ばらつきのあるものという感覚がある。メーカーや商品によってパック豆腐のサイズが異なるからだ。五百グラムのものもあれば三百五十もあり、百グラム三連とか、さらに小さいものの九連とか。そのために、料理の作り方を見ていて材料に「豆腐…一丁」とあると、何グラムの? と思ってしまう。
が、先日料理番組で見たお豆腐一丁は、たぶん昔ながらの一丁だった。パック詰めでは見たことのない高さと長さのある、直方体という言葉のお手本のような形をしていた。あるいは時代劇に出てくる枕のような。
そのテレビ越しに見た木綿豆腐はなんとも頼もしい大きさで、角がまさしくきりりと切りたての美しさで、パックからよいしょとひっくり返したものにはない美がたしかに宿っているのを感じた。わたしは直に触れたことがない美だ。いいなあ、と思った。あのお豆腐一丁を、いつか手の上で切ってみたいものだ。

家から一番近いスーパーには、あまり行かないのだけれど、たまになにかを買い忘れたときや買い足したいときに訪れる。そこはとにかくお魚に強いスーパーなので、魚を買うつもりはなくても、十中八九魚を買って帰る羽目になる。だからこのごろは逆に、どんな魚があるかなーと思って入る。今日は人参と牛乳と焼肉のたれを買いに入り、赤舌平目と鰯を菜の花と春菊も気づけばカゴに入れていた。
赤舌平目はおそらく頭をとった一尾を半分に切ったものが五百円で売られていたのが、半額になっていたので興味で手に取った。値札に『バター焼きに』と印刷されていてありがたい。その通りにバターで焼き、白ワインで蒸して醤油を少し。上品な脂のりのやさしい魚だった。娘はあまり手をつけなくて、おかかとまぜて海苔巻きおむすびにしたらおいしそうにたいらげた。
「赤舌平目のおむすび、ってなんかすごくない」とわたしが言い夫がふきだして笑った。
立派な鰯は三尾で百円、今日のうちに梅煮にしたから明日は主菜で悩まずに済む。昼に一尾娘とわけわけして、夜もそうして、帰宅した夫に一尾。このごろは昼も夜も同じ献立でも平気。

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山田桃栗

バターとナイフ

日々の他愛ない甘い暮らしのことを
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